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Channel: Major Mak's Diary
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共に天上で座に着く

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イエスの昇天は、私たちを天的本質へと移し変えた(エペソ2:6)。そしてそのことにより、私たちの視線を天に向けさせる(コロサイ3:1)。

私たちはキリストと共に彼の体において死に、そして再び甦った(コロサイ2:12)。それと同じく私たちはまた彼と共に、すでに天の世界へ移されているのである。このエペソ書の高い、もちろん独自な表現は、天に昇られた主において、また主と共に自分というものを見出すように、それも、彼の受け入れられた人間性の力において、たえず彼のそばにいるものとして自らを見出すように、と私たちに教えている。
彼がいますところ、そこに私たちもいるのである。私たちはすでにキリストと共に天にある。しかしまさにそれゆえにこそ、私たちは上にあるものを求め、努力するのである。
「あなたがたは地上を歩む。しかも天に生きている」と讃美歌は歌っている。将来的なものは現在的であり、そして現在的なものはすでに過去的である。かくして私たちは、キリストの昇天の力において生きるのである。

ディートリッヒ・ボンヘッファー

(ディートリッヒ・ボンヘッファー、森平太編『この人を見よ』新教出版社、1969年、p.150. 村上伸訳「昇天」『キリスト論』より)



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