聖句 ペトロ二1:3-4
先週の説教が終わりましたらすぐ東京へ行きまして、PASというグループに参加してきました。PASというのはパティセリ・アルミ・ド・サルという言葉の略で、「救世軍のお菓子屋さん」という意味のフランス語です。最初はお菓子教室だったらしいのですが、たこ焼きを作った頃から変わってきて、いまは10代から50代まで、おもに若い人が中心にお茶を飲みながら聖書を学ぶ会になっています。こないだで96回目だそうです。で、お茶を飲みながら何を学んだかといいますと、ヨハネ福音書1:18「いまだかつて、神を見た者はいない」という御言葉について一緒に考えたんです。神様は永遠で無限のお方だから、わたしたち人間は神様を見ることができない、って言うんですね。
神は永遠です。これに対して、わたしたちが見ることのできる時間は、どれぐらいですか? いまリアルタイムで、この目で見ることのできる時間って、どれぐらいだと思いますか? 5分前のことを見ることができますか? できませんよね? 3秒前のことを見ることができますか? できません。PASの人たちの出した答えは、「わたしたちが見ることのできる時間は、ほんの一瞬で、それは限りなくゼロに近い点にすぎない」でした。わたしたちがこの目でいまリアルタイムに見れるのは、一瞬です。これに対して、神は永遠です。だから、わたしたちは、この目では神を見ることができないんですね。
神はまた、空間的に無限です。これに対して、わたしたちが見ることのできる一番大きなものはなんですか? 見ることができる一番大きなもの。PASの人たちの答えはこうでしたよ。「地平線」「月」「太陽」「星」 いちばん遠くにある星は100億光年先にあるそうです。100億光年というのは、宇宙の最大の大きさです。これに対して、神は無限です。そこで、PASの人たちは計算式を解いてみることにしました。無限から100億光年の長さを引くと、いくら残るか。中学生の男の子が正解を出してくれました。無限引く100億は、無限なんですよ。わたしたちがこの目で見ることができる一番大きなものを見たとしても、神は無限です。だから、わたしたちは神を見ることができないんですね。
しかし、見ることができない神を、見ることができるようにしてくださった方がおられる。それがイエスさまです。ヨハネ1:18の続きにこうあります。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」
神のひとり子イエスさまが、神を見ることができるようにしてくださったんですよ。でも、どうやって? PASの人たちはまたも正しい答えを聖書から見つけ出してくれました。答えはヨハネ1:14にあります。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」 ひとり子である神、そのお方がクリスマスの夜にユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶のわらの上に、小さな赤ちゃんとなっておいでくださった。わたしたちと同じ肉体をもつ人間となって、おいでくださった。それがイエスさま。わたしたちは、イエスさまを見ることによって、神を見る。イエスさまを知ることによって、神を知ることができるんです。
だからヨハネは手紙でこう言っていますよ。ヨハネ一1:3「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現われました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエスキリストとの交わりです」
すると、こういうことになりますよ。わたしたちは、イエスさまを知れば知るほど、神を深く知る。イエスさまとまじわるほど、神と深くまじわることができる。今日最初お読みいただいたペトロ二1:3でこう言われていましたね。「主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです」
認識することなんです。キリスト教って何ですか? 信心ふかいクリスチャンって何ですか? 日曜に教会に行く、聖書を読む、酒とタバコをやめる、制服を着る、愛の行いをする、お祈りをする。それも大切ですね。でも、キリスト教の核心にあるのは、認識することです。イエスさまを認識することです。イエスさまを深く知ることです。わたしたちがイエスさまとまじわって、イエスさまを知って、もっともっと深くイエスさまを知ること。それが信仰であり信心でありキリスト教です。
あー、生きていてもつまらない。わたし、何のためにいるんだろう。死んでしまおうかな。そういう気分になることもあるでしょう。でも、人生には目的があるんです。それは、あなたが神を知ることです。イエスさまを知ることによって、あなたが神を知ること。イエスさまを知る。もっと深くイエスさまを知る。そのことによって神を深く知る。それが人生の目的なんです。
わたしたちはだれかに恋をすることがありますよね。すると、その人のことを知りたい、と思うようになります。好きな食べ物は何だろう? 好きな音楽は何だろう? お休みはどこで何してるんだろう? 知りたい。もっと知りたい。そう思いますよね? 知ることによって、わたしたちは影響されます。AKBにキャーキャー言っていた年頃のお嬢さんが、急にイギリスのハードロックを聞き始めたら、これは影に男の影響がある証拠だから、要注意だそうです。
そしてわたしたちは、その人のことを一生かけて深く知りたい。そう思ってプロポーズしますよね。結婚することによって、いままで表面に見えていなかった、相手の深い面を知るようになります。時には、知らなければよかった、って思うこともあるでしょうけど、その人の良い面も悪い面も全部知るようになりますよね。そして、長年寄り添っていると、お互いにだんだん似てきます。声も、しゃべりかたも、顔まで似てくるそうです。恐ろしいですね。
長年寄り添ってくると、飽きることもあるかもしれない。でも、イエスさまは神さまですから。わたしたちは、イエスさまを知って、もっと深く知って、飽きることがありません。イエスさまは神さまですから、悪い面はありません。良い面しかありません。そして、わたしたちがイエスさまを知るほどに、わたしたちは影響されます。似てきます。わたしたちは、変えられていくんです。
わたしが家内と結婚したとき、わたしはまったく料理ができませんでした。辛いものは、まったく食べられませんでした。食べられないものがたくさんありました。キムチ、ホルモン、カキ、ブロッコリー、カリフラワー、イカの塩辛。でも、長年寄り添っていると、変えられます。最初わたしは、目玉焼きを焼くこともできなかったのに、今は、毎朝目玉焼きを焼くのはわたしの仕事です。ボルシチ、シャスリック、ミートパイ、カルボナーラ、シンガポールチキンライスは、レシピを見ないで作ることができます。キムチ、ホルモン、カキ、ブロッコリー、カリフラワー、イカの塩辛、なんでも食べれます。わたしは家内によって変えられたんです。
イエスさまを深く知ると、わたしたちはイエスさまによって影響され、変えられます。それがわたしたちの人生の目的なんです。イエスさまを認識することによって、わたしたちは変えられていく。変えられて行って、最後はわたしたちはどうなるんでしょうか? ペトロ二1:4「この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです」 神の本性にあずからせていただく。
長年連れ添った夫婦が似てくるように、わたしたちはイエスさまを知ることによって、イエスさまに似たものになっていく。神の本性にあずからせていただくんです。11節「こうして、わたしたちの主、救い主イエスキリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります」 これが人生のゴール、目標地点です。人生の終着点はとこですか? 棺おけですか? 火葬場ですか? お墓ですか? そうではありません。わたしたちはイエスさまに似た者に変えられて、わたしたちは神の本性にあずかるものとなって、イエスさまの永遠の御国、天国に確かに入ることができる。そこがゴールです。
十字架にかかり、三日目に復活し、天にのぼられたイエスさまは、いま、聖霊をとおしてわたしたちと共におられます。聖霊をとおして、イエスさまは、いつもわたしたちと一緒にいてくださいます。わたしたちは気づいていないだけなんです。まさか、ここにはイエスさまはいないだろう、ってわたしたちが油断しているそのところに、イエスさまはいるんです。まさか、いまはイエスさまは見てないだろう、って油断しているときにも、イエスさまは見ているんです。だからわたしたちは目をさまして、いつでも、どこでも、どんなときでも、イエスさまに祈り、イエスさまとまじわりをもつべきなんです。
夫婦にとって大切なことは、一緒にいることですよね。わたしたちは、聖霊をとおしていつもイエスさまと一緒にいるのです。そのことを意識しましょう。ああ、わたしはひとりぼっちじゃないんだ。イエスさまがいつも一緒なんだ。そのことをおぼえましょう。
夫婦にとってもうひとつ大切なことは、会話することですよね。おはよう。ありがとう。おねがい。手伝って。どう思う? いたいよ。つらいよ。たすかった。おやすみ。いろんな会話をしますね。わたしたちは、いつもイエスさまに祈ることによって、イエスさまと会話するのです。そうすることによって、わたしたちはイエスさまとのまじわりを深めるのです。「あー、生きていてもつまらない。わたし、何のためにいるんだろう」 そういうのは、もう終わりにしましょう。イエスさまと一緒にいきましょう。イエスさまと会話しましょう。イエスさまを知り、イエスさまと深くまじわりましょう。イエスさまの影響を受けて、変えられましょう。イエスさまに似たものにされていきましょう。そして、イエスさまの永遠の御国、天国を目指して進んで行きましょう。
先週の説教が終わりましたらすぐ東京へ行きまして、PASというグループに参加してきました。PASというのはパティセリ・アルミ・ド・サルという言葉の略で、「救世軍のお菓子屋さん」という意味のフランス語です。最初はお菓子教室だったらしいのですが、たこ焼きを作った頃から変わってきて、いまは10代から50代まで、おもに若い人が中心にお茶を飲みながら聖書を学ぶ会になっています。こないだで96回目だそうです。で、お茶を飲みながら何を学んだかといいますと、ヨハネ福音書1:18「いまだかつて、神を見た者はいない」という御言葉について一緒に考えたんです。神様は永遠で無限のお方だから、わたしたち人間は神様を見ることができない、って言うんですね。
神は永遠です。これに対して、わたしたちが見ることのできる時間は、どれぐらいですか? いまリアルタイムで、この目で見ることのできる時間って、どれぐらいだと思いますか? 5分前のことを見ることができますか? できませんよね? 3秒前のことを見ることができますか? できません。PASの人たちの出した答えは、「わたしたちが見ることのできる時間は、ほんの一瞬で、それは限りなくゼロに近い点にすぎない」でした。わたしたちがこの目でいまリアルタイムに見れるのは、一瞬です。これに対して、神は永遠です。だから、わたしたちは、この目では神を見ることができないんですね。
神はまた、空間的に無限です。これに対して、わたしたちが見ることのできる一番大きなものはなんですか? 見ることができる一番大きなもの。PASの人たちの答えはこうでしたよ。「地平線」「月」「太陽」「星」 いちばん遠くにある星は100億光年先にあるそうです。100億光年というのは、宇宙の最大の大きさです。これに対して、神は無限です。そこで、PASの人たちは計算式を解いてみることにしました。無限から100億光年の長さを引くと、いくら残るか。中学生の男の子が正解を出してくれました。無限引く100億は、無限なんですよ。わたしたちがこの目で見ることができる一番大きなものを見たとしても、神は無限です。だから、わたしたちは神を見ることができないんですね。
しかし、見ることができない神を、見ることができるようにしてくださった方がおられる。それがイエスさまです。ヨハネ1:18の続きにこうあります。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」
神のひとり子イエスさまが、神を見ることができるようにしてくださったんですよ。でも、どうやって? PASの人たちはまたも正しい答えを聖書から見つけ出してくれました。答えはヨハネ1:14にあります。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」 ひとり子である神、そのお方がクリスマスの夜にユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶のわらの上に、小さな赤ちゃんとなっておいでくださった。わたしたちと同じ肉体をもつ人間となって、おいでくださった。それがイエスさま。わたしたちは、イエスさまを見ることによって、神を見る。イエスさまを知ることによって、神を知ることができるんです。
だからヨハネは手紙でこう言っていますよ。ヨハネ一1:3「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現われました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエスキリストとの交わりです」
すると、こういうことになりますよ。わたしたちは、イエスさまを知れば知るほど、神を深く知る。イエスさまとまじわるほど、神と深くまじわることができる。今日最初お読みいただいたペトロ二1:3でこう言われていましたね。「主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです」
認識することなんです。キリスト教って何ですか? 信心ふかいクリスチャンって何ですか? 日曜に教会に行く、聖書を読む、酒とタバコをやめる、制服を着る、愛の行いをする、お祈りをする。それも大切ですね。でも、キリスト教の核心にあるのは、認識することです。イエスさまを認識することです。イエスさまを深く知ることです。わたしたちがイエスさまとまじわって、イエスさまを知って、もっともっと深くイエスさまを知ること。それが信仰であり信心でありキリスト教です。
あー、生きていてもつまらない。わたし、何のためにいるんだろう。死んでしまおうかな。そういう気分になることもあるでしょう。でも、人生には目的があるんです。それは、あなたが神を知ることです。イエスさまを知ることによって、あなたが神を知ること。イエスさまを知る。もっと深くイエスさまを知る。そのことによって神を深く知る。それが人生の目的なんです。
わたしたちはだれかに恋をすることがありますよね。すると、その人のことを知りたい、と思うようになります。好きな食べ物は何だろう? 好きな音楽は何だろう? お休みはどこで何してるんだろう? 知りたい。もっと知りたい。そう思いますよね? 知ることによって、わたしたちは影響されます。AKBにキャーキャー言っていた年頃のお嬢さんが、急にイギリスのハードロックを聞き始めたら、これは影に男の影響がある証拠だから、要注意だそうです。
そしてわたしたちは、その人のことを一生かけて深く知りたい。そう思ってプロポーズしますよね。結婚することによって、いままで表面に見えていなかった、相手の深い面を知るようになります。時には、知らなければよかった、って思うこともあるでしょうけど、その人の良い面も悪い面も全部知るようになりますよね。そして、長年寄り添っていると、お互いにだんだん似てきます。声も、しゃべりかたも、顔まで似てくるそうです。恐ろしいですね。
長年寄り添ってくると、飽きることもあるかもしれない。でも、イエスさまは神さまですから。わたしたちは、イエスさまを知って、もっと深く知って、飽きることがありません。イエスさまは神さまですから、悪い面はありません。良い面しかありません。そして、わたしたちがイエスさまを知るほどに、わたしたちは影響されます。似てきます。わたしたちは、変えられていくんです。
わたしが家内と結婚したとき、わたしはまったく料理ができませんでした。辛いものは、まったく食べられませんでした。食べられないものがたくさんありました。キムチ、ホルモン、カキ、ブロッコリー、カリフラワー、イカの塩辛。でも、長年寄り添っていると、変えられます。最初わたしは、目玉焼きを焼くこともできなかったのに、今は、毎朝目玉焼きを焼くのはわたしの仕事です。ボルシチ、シャスリック、ミートパイ、カルボナーラ、シンガポールチキンライスは、レシピを見ないで作ることができます。キムチ、ホルモン、カキ、ブロッコリー、カリフラワー、イカの塩辛、なんでも食べれます。わたしは家内によって変えられたんです。
イエスさまを深く知ると、わたしたちはイエスさまによって影響され、変えられます。それがわたしたちの人生の目的なんです。イエスさまを認識することによって、わたしたちは変えられていく。変えられて行って、最後はわたしたちはどうなるんでしょうか? ペトロ二1:4「この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです」 神の本性にあずからせていただく。
長年連れ添った夫婦が似てくるように、わたしたちはイエスさまを知ることによって、イエスさまに似たものになっていく。神の本性にあずからせていただくんです。11節「こうして、わたしたちの主、救い主イエスキリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります」 これが人生のゴール、目標地点です。人生の終着点はとこですか? 棺おけですか? 火葬場ですか? お墓ですか? そうではありません。わたしたちはイエスさまに似た者に変えられて、わたしたちは神の本性にあずかるものとなって、イエスさまの永遠の御国、天国に確かに入ることができる。そこがゴールです。
十字架にかかり、三日目に復活し、天にのぼられたイエスさまは、いま、聖霊をとおしてわたしたちと共におられます。聖霊をとおして、イエスさまは、いつもわたしたちと一緒にいてくださいます。わたしたちは気づいていないだけなんです。まさか、ここにはイエスさまはいないだろう、ってわたしたちが油断しているそのところに、イエスさまはいるんです。まさか、いまはイエスさまは見てないだろう、って油断しているときにも、イエスさまは見ているんです。だからわたしたちは目をさまして、いつでも、どこでも、どんなときでも、イエスさまに祈り、イエスさまとまじわりをもつべきなんです。
夫婦にとって大切なことは、一緒にいることですよね。わたしたちは、聖霊をとおしていつもイエスさまと一緒にいるのです。そのことを意識しましょう。ああ、わたしはひとりぼっちじゃないんだ。イエスさまがいつも一緒なんだ。そのことをおぼえましょう。
夫婦にとってもうひとつ大切なことは、会話することですよね。おはよう。ありがとう。おねがい。手伝って。どう思う? いたいよ。つらいよ。たすかった。おやすみ。いろんな会話をしますね。わたしたちは、いつもイエスさまに祈ることによって、イエスさまと会話するのです。そうすることによって、わたしたちはイエスさまとのまじわりを深めるのです。「あー、生きていてもつまらない。わたし、何のためにいるんだろう」 そういうのは、もう終わりにしましょう。イエスさまと一緒にいきましょう。イエスさまと会話しましょう。イエスさまを知り、イエスさまと深くまじわりましょう。イエスさまの影響を受けて、変えられましょう。イエスさまに似たものにされていきましょう。そして、イエスさまの永遠の御国、天国を目指して進んで行きましょう。