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たくさん食べて、元気になった!

聖句 ルカ9:10-17

おいしいものを、おなかいっぱい食べると、元気になりますよね。みんなでいっしょに食べると、もっと元気になります。イエスキリストの教会が世界に誕生したのは、いまから2000年近く前の西暦1世紀のことですが、その頃はみんな日曜の礼拝に集まるたびに、持ち寄りパーティーをしていました。今で言うポットラックパーティーですね。でも、毎週ポットラックパーティーをするのは大変なので、何百年かたつうちに、小さなウエファースを食べるだけになってしまいました。

わたしは1985年にオーストラリアのシドニーの救世軍に行ったことがあります。日曜の礼拝に、各家庭が赤や黄色のプラスチックのバケツを持ってきます。中にはナプキン、お皿、ナイフ、フォーク、ローストビーフ、茹でたインゲン豆、マッシュポテト、パン、それからノンアルコールのビールが入っています。礼拝が終わると、食堂に集まって、詰襟の制服を脱いで、赤や黄色のTシャツの姿になって、バケツから出したご馳走をテーブルに並べて、ノンアルコールのビールを飲みながら、ローストビーフを食べます。そのあと、おしゃべりをして、夕方になると野戦(路傍伝道)をして、野戦から帰って来ると、食堂にずらっとフィンガービュッフェが並べられています。フィンガービュッフェというのは、ナイフとフォークを使わないで指でつまんで食べる食事です。カナッペ、クッキー、チーズ、クラッカー、チョコレート、キャンディー、グミ、スコーン、ケーキ、ドーナツ、サンドイッチもあります。それを食べたら救霊会(伝道集会)をします。救霊会が終わると、何人かは小隊長の家に集まって、そこでまたコーヒーやサンドイッチを食べます。古き良き時代のオーストラリアの救世軍ですね。

旧約聖書を見ると、書記官のエズラは説教壇に立って、聖書を朗読して、聖書についてひととおり説明したあと、大声でこう言いました。「さあ、みんな。おいしい肉を食べて、甘いジュースを飲んで、いっしょに神様を喜ぼう!」

おなかいっぱい食べて元気になる、ということは、とても大切ですよ。空腹のときの悲しい気持ちといったら、あるでしょうか? うちのひとたちをみているとわかりますが、いらいらして、怒りっぽくなって、人生に対してすっごく悲観的になります。ほとんど人生を断念するかのようなネガティブな言葉が出て来ます。空腹のときにうちのひとたちが車に乗ろうものなら、大変なことになります。第三次世界大戦直前のような雰囲気になります。

空腹であることが、どんなにつらいことか。イエスさまご自身、よくわかっておられました。荒野で40日40夜、断食をして祈られた経験がおありですから。目の前の石をパンに変えてでも食べたい。そういう誘惑にイエスさまご自身がかられました。だから、空腹であることが、どんなにつらいことか、イエスさまはわかっていて、身をもってわたしたちに同情してくださるんです。

今日読まれた聖書の箇所では、大勢の人たちがイエスさまのもとに来て、イエスさまのお話を聞いて、病気をいやしていただいて、時間がたつのも忘れて夢中で過ごしていたら、あっと言う間に夕方になって、そこは食べるものがなにもなかった。場所が町の郊外の丘の上でしたから、お弁当が売っているような店はなにもなかった。

お腹が空いて弱り果てている大勢の人を見て、イエスさまは深くあわれまれました。深くあわれむ。英語でコンパッションと言いますが、これは、同じ気持ちになる、というラテン語からきています。イエスさまは、わたしたちをみて、同じ気持ちになってくださる。それがイエスさまのコンパッションです。

コンパッションによってイエスさまは行動されます。5千人の人たちを50人ずつ組にわけて座らせて、5つのパンと2匹の魚をとって感謝の祈りをささげ、それを配らせました。みんながおなかいっぱい食べて、元気になりました。食べきれなかったパンが大きな籠に12もありました。

コンパッションによって行動する。わたしたちがイエスさまから受けついだのは、これです。わたしたちは毎年冬に街頭給食をします。毎週水曜に100人以上の人たちに、あたたかいカレーライス、豚汁、中華丼、焼き肉丼、おしるこ、おはぎ、チョコレートを配ります。みんなおなかいっぱい食べて、元気になって、食べきれなかったカレーライスが中ぐらいの鍋ひとつあまります。お腹が空いている人をみると、見てみぬふりができない。自分だってお腹が空いていたら、どんなに悲しくなるか、よくわかっているから。だから、行動せざるを得ない。これがコンパッションです。イエスさまのコンパッションが、わたしたちの中に流れているんですね。

ところでみなさん。いちばん友達にしたくない人のアンケート第一位は、何だと思いますか? いちばん友達にしたくない人ですよ? 元気で、健康で、病気を一度もしたことがない人。それが、いちばん友達にしたくない人だそうです。だって、こういう会話が想像できるでしょ? 「調子が悪くて、ここも痛いし、ここも痛いんだ」「ふーん。そんなの平気でしょ。我慢してなよ。おおげさだね」 なんだか、うちでいつも聞かれる会話みたいですね。いちばん夫にしたくない人のアンケート第一位も、おそらく同じ気がします。

でも、イエスさまはコンパッションのお方です。同じ気持ちになってくださる。わたしたちが「イエスさま、痛いんです」というと、「そうだね、痛いよね、わかるよ、わたしも痛いから。でも大丈夫だよ。わたしが一緒にいるよ」と言ってくださるイエスさまです。イエスさまは、十字架にかかるほどの痛みをもって、わたしたちと同じ気持ちになってくださいます。

わたしたちは、おなかいっぱい食べたら、元気になれます。イエスさまも、わたしたちがおなかいっぱい食べて元気になることを、願っていてくださいます。

おなかいっぱい食べれば元気になれますが、一番元気になれるのは、イエスさまがいっしょにいてくださるときではないでしょうか?

わたしたちは生きていて、つらいこと、悲しいこと、痛いことがありますよね。そういう時、わたしたちはつぶやきます。「イエスさま、わたしは悲しいんです」 すると、すぐそばにいるイエスさまが「そうだね。悲しいよね。わかるよ、わたしも悲しいから。でも大丈夫だよ。わたしが一緒にいるよ。さあ、わたしと一緒にもう一度やってみようよ」と言ってくださる。そしたらわたしたちは、元気になれるでしょう?

おなかいっぱい食べて、元気になる。これは、元気になる方法です。でも、もうひとつ方法があります。それは、イエスさまがそばにいてくださる人生を生きる、ということです。クリスチャンになるというのは、そういう人生を選ぶ、ということです。

どこにイエスさまがいるんでしょうか? 先週はペンテコステ・サンデーでしたけれども、そこでわたしたちが聞いたメッセージは、いまもイエスさまは生きてこの世界に働いておられるということ。イエスさまは、聖霊をとおして、わたしたちのところに来てくださるということ。イエスさまは、さわやかな風のように、世界のいたるところに働いておられるということ。わたしたちが自分の心のとびらを開いて、心の中にイエスさまをお迎えするならば、イエスさまは聖霊をとおして、父なる神さまといっしょに、わたしたちの中に入って来て、わたしたちの中に住んでくださるということ。これが先週、わたしたちが聞いたメッセージでしたよね。

目に見えないイエスさまを心の中にお迎えする。これは、なかなかピンとこないことかもしれません。目の前にローストビーフとマッシュポテトとノンアルコールのビールがあって、さあ、どうぞ食べてください、と言われたら、どうですか? これほどわかりやすいことはないですよね。わたしたちは、すぐ手を伸ばして、おなかいっぱい食べて、元気になれます。

でも、それと同じリアリティーをもって、いや、それ以上のリアリティーをもって、イエスさまは、わたしたちのすぐそばにおられます。ローストビーフは舌で感じるものだし、ノンアルコールのビールはのど越しで感じるものですよね。でも、みなさんはイエスさまを心で感じることができるのです。どうか心を開いて、心の手を伸ばして、イエスさまに触れて、心の中にイエスさまを迎えてください。その瞬間から、みなさんは、イエスさまと一緒に生きる人生をスタートできるのです。イエスさまが一緒に生きてくださるから、わたしたちは元気になれます。お祈りいたしましょう。

≪イエスさまを迎える祈り≫

主イエスさま
わたしの今までの罪を、どうぞゆるしてください。
(ここで少し時間を取って、あなたの心に何か具体的なことが浮かんできたら、そのことのゆるしを求めてください)
どうぞ、わたしをゆるしてください。
わたしは、これらすべての罪から離れます。
あなたが十字架の上でわたしのために
死んでくださったことを感謝します。
わたしはゆるされ、自由にされました。
あなたがゆるしてくださり、
聖霊を与えてくださることを感謝します。
今、あなたのゆるしを受けとり、
聖霊をお迎えします。
どうぞ、わたしの人生にお入りください。
そして、永遠にわたしと共にいてください。
主イエスさま、感謝します。
アーメン

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