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青年の孤独を癒す三つの処方箋

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聖句 コヘレトの言葉11:9-12:2

現代の青年が一番恐れるもの。それは、孤独ではないでしょうか? 病気より戦争より世界の終りより恐ろしいもの。それは、孤独ではないでしょうか? 友達が出来ると思って学校に入ったのに、ひとりも出来なかった。お昼の弁当を一緒に食べてくれる友達がいない。でも、校庭のベンチでひとりで食べるのも恥ずかしい。だからトイレで食べた。これは珍しい話ではないそうです。友達を作る上でコミュニケーションの能力が大切です。会って話す、電話で話す、メールで話す、ツイッターで話す、フェイスブックで話す。100年前に比べたらコミュニケーションの便利さは100倍になっているでしょう。でも、気持ちが上手く伝えられない。そもそも自分の気持ちが相手に伝わるとは思えない。どうせ伝わらないんだから、あきらめてしまう。

どうしたら、青年の孤独は癒されることができるでしょう? 答えは、聖書の中にあり、イエスキリストのグッドニュース、福音の中にあります。そこで、今日わたしたちが聖書の中から読み取りたい孤独を癒す三つの処方箋があります。

その第一は、教会の交わりに加わる、ということです。

教会の敷居は高いです。教会に行くと敬虔そうなおじいちゃん、おばあちゃんばかりいます。教会に行くと、よくわからない讃美歌を歌わせられます。「げに」「だに」「あなうれし」「うたわでやあるべき」とか、平安時代の言葉みたいです。教会に行くと牧師の話がつまらないです。ご主人が教会の礼拝を終えて、帰宅ました。奥さんが尋ねました。「今日のお説教はどうだった?」「今日はちっとも眠くならなかったよ」 奥さんは皿を落として叫びました。「それは奇跡だわ!」

しかし、教会の交わりの中に孤独を癒す処方箋があります。これは、すぐ効く薬ではありません。漢方薬のように、じわじわ効く薬です。ですから最低一年間このお薬を続けていただく必要があります。一年間通い続けていると、だんだんあることが見えて来ます。見えてくるもの。それは、教会は「みじめさ・恥ずかしさでつながれた共同体だ」ということが、見えてきます。

ヨハネによる福音書第19章25節から27節をお読みします。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です』 そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」

イエス様の十字架のもとに一緒に立っている人たち。これが新しい家族だ。この人たちが、新しい絆で結ばれた「教会」という家族だ。それを聖書は言っています。イエス様は、わたしたちの身代わりに十字架にかかってくださいました。わたしたちの愚かさ、弱さ、汚さ、ずるさ、みにくさ、みじめさ、恥ずかしさ。それらを全部吸い取って、イエス様は十字架にかかって死んでくださいました。そして言うのです。「わたしはおまえをゆるす。わたしがおまえの代わりに死んだからだ。だから、ゆるされた者として新しい家族と共に生きなさい」

イエス様の十字架のもとに一緒に立っている人たち。これが教会の人たちです。なんで十字架のもとに立っているんですか? 自分の愚かさ、弱さ、汚さ、ずるさ、みにくさ、みじめさ、恥ずかしさが、もう死んでしまいたいほどわかったから、そして、そのみじめさは自分ではどうすることもできないほど酷いものだということがわかったから、だから十字架のもとに立っているんです。これが公然の教会の秘密です。

遠藤周作という作家は『白い人・黄色い人』『毒薬』『沈黙』『深い河』など、キリスト教信仰について深く迫る純文学を書きました。でも『狐狸庵シリーズ』という、おかしなエッセイ集を書き続けた人でもあります。狐狸庵先生・遠藤周作は、自分の死んでしまいたいほど恥ずかしいエピソードをこれでもか、これでもか、というほど書いて爆笑を誘います。彼は青年時代、夜布団で横になっても全然眠れず、自分の愚かさ・みにくさ・ずるさ・みじめさに耐えきれなくなって、大声で叫んだそうです。

あなたは夜布団の中で叫び出したい人ですか? もしそうだとしたら、あなたも一緒にイエス様の十字架のもとに立つことができます。あなたはどこを向いているんですか? イエス様が十字架の上で招いているのは、あなたのことなんです。わたしのもとに来なさい。叫び出したいほど恥ずかしいその重荷を、わたしのところにおろしなさい。わたしがあなたに代わって死んだ。あなたはゆるされて、新しくなれるんだ。

第二の処方箋は、天国の希望に顔を向ける、ということです。

青年の孤独は、青年の不安との相乗効果で100倍ひどく感じられます。不安の原因は、将来が見えないということにあります。大学で博士号を取って200社に履歴書を送っても正社員になれない。コンビニでバイトするしかない。そういう先が見えない時代。わたしの学校? でも、三年後につぶれるって聞いた。わたしの会社? でも、今年の夏ごろ危ないって聞いた。わたしの故郷? でも、人口減少で町村合併になるって聞いた? わたしの国? わたしの国に未来はあるんだろうか?

不安の原因は、大きな視野、長い視野の欠如にあります。経営学の神様と言われたピーター・ドラッガーは、救世軍を世界で最も効率の高い組織だと評価しました。なぜそう言えるのか? キリスト教団体は自分を超え、その団体を超え、時代を超え、宇宙すら超える大きな視野、長い視野を持っていて、そこから生きる意味を引っ張ってくることができるからです。教会は、天国の希望に顔を向けて生きています。

黙示録第21章24節をお読みします。「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る」

トンネルの向こうに光の中を歩く人々が待っているのです。黙示録は、その大部分は暗い話ばっかりです。病気があり、飢饉があり、大地震があり、天変地異があり、戦争があり、悪の帝国、悪の独裁者があり、クリスチャンがどんどん死んで行きます。世界は暗いトンネルの時代を通る、というのが大筋の話です。でも、最後は明るいのです。トンネルは永遠に続かない。トンネルから抜け出る日が来る。神の都、新しいエルサレムがそこに待っている。光の中を歩く人々が待っている。そして、あなたも光の中を一緒に歩くんだ。

自分の人生で努力して、自分で光を輝かせることができたら、ほんとうに素晴らしいですね。わたしもぜひ、そうなりたいものです。でも、そうはならないかもしれない。輝けないうちに、自分の学校が、自分の会社が、自分の家庭が、自分の町が、自分の国が、終わってしまうかもしれない。

だけれども、必ずトンネルを抜ける日が来る。天国では、だれも自分で輝く必要は無い。みんながイエス様の光の中を歩くんだ。自分の人生で輝けた人も、自分の人生で輝けなかった人も、天国ではイエス様の光をいただいて輝くんだ。

長い視野でものごとを見れる人は強いです。高校生の娘が短いスカートをはいて困る、と嘆いていた親が、知人からこう言われたそうです。「あなたの娘が40歳になる時がきます。あっと言う間ですよ。40になったら短いスカートなんて恥ずかしくてはけないですよ。いや、19でも、はけないでしょ。人生の中であれがはけるのは、15から18までのたった3年間だけです」

ものごとを最も長い視野で見れる人が、最も強い人です。わたしはイエス様によって天国に行けるんだ。その希望を持つことができたら、あなたは最強の人です。

第三の、最後の処方箋は、聖霊の力を内にみなぎらせる、ということです。

「弱いわたし、元気になった」というのでは、不十分です。「弱いわたし、だから、元気になった」 弱いわたし「だから」元気になった。それが処方箋です。

コリントの信徒への手紙二第4章7節をお読みします。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」

弱いわたし、それが、土の器です。弱くて、もろくて、小さいわたし。土の器です。新年の士官会で小隊長が社会鍋と街頭給食と若いお母さんたちのつどいについて証ししました。それを聞いた候補生たちは、慰められました、励まされました、力をもらいました、と喜んでいました。でも、小隊長はわたしの前ではいつも「ああ疲れた」「ああ肩が痛い」「ああ腰が痛い」ばかり言っています。土の器です。土の器は、弱くて、もろくて、小さくて、からっぽです。だからこそ、神様は神様の霊である聖霊をそこに注いで満たしてくださる。からっぽで小さいから、聖霊はいっぱいになって、そこからあふれ出て、まわりの人に流れて行くのです。小隊長の笑顔に力をもらった、という人がご近所にもいます。遠くイギリスにもアメリカにもアフリカにもインドにも、小隊長の笑顔から力をもらった、という人がいます。土の器に聖霊がいっぱいになって、そこからあふれ出て、あふれ出たものを人々が受け取ったのです。

札幌の農学校のクラーク博士は「青年よ、キリストにあって大志を抱け」と勧めました。自分は、弱くて、もろくて、小さくて、からっぽだから、何も出来ない、と考えたら、これは、あきらめです。「キリストにあって大志を抱け」とは、こういうことです。自分は、弱くて、もろくて、小さくて、からっぽだ。だからこそ、神様はイエスキリストを通して聖霊をわたしに注いでくださるんだ。わたしは聖霊に満たされて、わたしから聖霊があふれ出て、聖霊がまわりの人に流れて、人々を祝福するんだ。これが「キリストにあって大志を抱け」ということでしょう。聖霊の力を内にみなぎらせる。これが第三の処方箋です。

むすびのことば

青年の孤独を癒す三つの処方箋を今日聖書から受け取りましょう。第一は、教会の交わりに加わることです。第二は、天国の希望に顔を向けることです。第三は、聖霊の力を内にみなぎらせることです。この三つのお薬をイエス様からいただきましょう。イエス様に祈りましょう。イエス様に求めましょう。

士官学校の同僚が風邪をひいたので医者に行って処方箋をもらったそうです。でも、薬局にはあとで行こうと思って、四日後に薬局に行ったら、処方箋の有効期限が切れて、お薬をもらえなかったそうです。今日わたしたちは、聖書から三つの処方箋を受け取りました。この処方箋には有効期限は、ありません。でも、聖書のページを破ってのみこんでも、効き目はありません。今日のメッセージを受け取っただけでは、効き目はありません。大切なのは、この処方箋をもって、あなたがイエス様のもとに行くことです。あなたが自分でイエス様に頼むことです。イエス様、この処方箋に従って、わたしを助けてください、わたしに癒しを、わたしに救いを与えてください、そう自分でお願いしなければなりません。ぜひそのように、お祈りしてください。

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