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ポストモダンの世界における弁証学

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1.ポストモダンとは何か?

ポストモダンとは、<後ろ>という意味のラテン語「ポスト」と、<現代>という意味の英語「モダン」を組み合わせた造語です。

ポストモダンを提唱したフランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールは、「ポストモダンとは、大きな物語の終焉である」と、簡潔に定義しました。

<現代>という時代を、どの期間と見るか諸説ありますが、現代人の生活で常識となっているもの、たとえば、ラジオ、冷蔵庫、洗濯機、レコード、自動車、高速鉄道、パーマ、飛行機、戦車、社会主義、実存主義など、そのほとんどが出揃って来るのが、1914年あたりです。

そこで、1914年から<現代>が始まった、と考えますと、逆に、<現代>が終焉したのが、ソビエト・ロシア崩壊の1991年であった、ということになるわけです。急進的マルクス主義の哲学者であったリオタールにとって、「大きな物語」というのは、ほかならぬマルクス主義の哲学を指していたわけですが、その「大きな物語」は、それこそ、宇宙の成り立ちから、日々の生活の箸の持ち方に至るまで、あらゆる存在、あらゆる現象を説明しつくし、規定し尽くそうとする、壮大な世界観体系であったわけです。共産主義国だけが、そうした「大きな物語」に根拠して社会や人間の在り方を決めようとしただけでなく、共産主義に戦々恐々とする資本主義国もまた、マルクス主義の合わせ鏡としてのケインズ主義に根拠して社会や人間の在り方を決めることにより、共産主義化の圧力に対抗して立つことが出来たのでした。

しかし、その共産主義が崩壊してしまった1980年代の出来事は、リオタールにとって大きな衝撃であったわけで、リオタールはそれを、「大きな物語の終焉」「全体知の終焉」さらに「現代の終焉」として、意識したわけでした。

では、「大きな物語」が終焉した後の時代、つまり「ポストモダン」に生きているわたしたちは、いったい、どういう状況に置かれているのでしょうか? 

古き良き<現代>においては、「大きな物語」という全体的な構図の中に、個々人が居場所を与えられていたわけでした(ゆりかごから墓場まで)。ところが、ポストモダンにおいては、もはや、そのような「大きな物語」は、存在し得ません。ただ、無数の「小さな物語」が、「自己責任」という声高なかけ声が響く空の下で、個々ばらばらに存在しているだけなのです。それら「小さな物語」は、非常に強力な内向的エネルギーを持っており、絶えず内へ内へと向かいつつ、さらに細分化し、専門化し、タコ壺化して、「小さな物語」のくくりの中に、際限なくさらに多くの「小さな物語」を生み出して行くのです。個々人は、それら「小さな物語」の中に深く沈潜することによって、かつては「大きな物語」が提供してくれていたが、今では入手不可能となってしまった、「生きる意味」「生きる目的」の代替案としての、「自分の居場所」を、ようやく見出すことが可能になるのです。

それでは、キリスト教にとって、このようなポストモダンの状況には、いったいどのような問題があるのでしょうか?

キリスト教は、マルクス主義の哲学よりも、もっと古い、「大きな物語」である、と言うことができるわけです。聖書の啓示は、宇宙の成り立ちから、人間の存在の意味と目的、さらに、日々の生活における箸の持ち方に至るまで、あらゆる現象を説明し尽くし、規定し尽くそうとする、「壮大な世界観の体系」です。

「大きな物語」の有効性が、いまだ信じられていた<現代>にあっては、キリスト教は、状況はやや不利でありながらも、マルクス主義の哲学に「対抗」することによって(根本主義)、あるいは、マルクス主義の哲学に「融合」することによって(リベラリズム)、かたちとしては「大きな物語」「全体知」という構図を維持しつつ、布教活動を進めることが出来たわけです。

ところが、ポストモダンにおいては、もはや「大きな物語」の有効性を信じる人は、だれもいない。すべての人が、それぞれが深く愛する「小さな物語」の中に、深く沈潜することによって、「自分の居場所」を見出そうとしている。この状況においては、キリスト教もまた、細分化され専門化されタコ壺化された「小さな物語」の数あるひとつにしか過ぎない、という次元にまで、引き下げられてしまうわけです(サブカルチャー化するキリスト教)。これは、キリスト教が、教団や教派の伝統を大切に守れば守るほど、サブカルチャー化して行きますし、逆に、キリスト教が大胆に文化適合して、自己の姿を変えようとすればするほど、やはりサブカルチャー化して行ってしまうわけです。なぜなら、文化適合するとは、数ある「小さな物語」のどれかひとつを対象に選択して適合する、ということに他ならないわけですから、文化的に適合した伝道を進めれば進めるほど、キリスト教自体が、細分化されて行くことになるわけです。

さらに問題であるのは、人々が、それぞれの「小さな物語」の中に、自分の居場所を見出して、安心し切ってしまうことです。それとともに、他にもある無数の「小さな物語」に対して、自分の「小さな物語」が、どのように連絡を持っているのか、あるいは、連絡を持ち得るのか、ということについて、人々がだんだん無関心になって行く、あるいは、「小さな物語」の垣根を越えたコミュニケーションの可能性ということについて、だんだん絶望的になって行く、という状況があります。人々が「小さな物語」の中で完結してしまうのであれば、そして、その殻から出て来ない生き方を選択してしまうのであれば、これは、「大きな物語」としてのキリスト教の伝道の終焉を意味するでありましょう。

このようなポストモダンの状況にあって、いかにキリスト教を弁証するか、という課題が、わたしたちに突きつけられているのです。


2.弁証学とは?

さて、そのようなポストモダンの状況に生きる人々に、「大きな物語」としてのキリスト教を説得的に提示しようとする試みが、「ポストモダンの世界における弁証学」であるわけです。

キリスト教弁証学は、キリスト教が誕生した初代教会の直後の時代には、もうすでに始められていました。聖書に示されたイエス・キリストの救いを、その「時代」の人々に、いかに弁明し立証するか、という試みは、第二世紀のアレキサンドリアのクレメンスによって着手された、と見ることが出来ます。クレメンスは、当時の「現代思想」であったギリシャ哲学の「世界観体系」を適合的に利用しつつ、キリスト教の弁証を行おうと試みました。その後、時代の変遷と共に、それぞれの時代の「時代精神」は、次々と交代して行くことになるわけですが、その都度キリスト教は、その時代に適合した新たな弁証方法を編み出して来ました。それにはたとえば、12世紀のイスラム哲学に適合したトマス・アクィナスの弁証学。19世紀のドイツ観念論に適合したシュライエルマッハーの弁証学。20世紀の実存主義に適合したカール・バルトの弁証学が挙げられます。

それでは、ポストモダンという21世紀の「時代精神」に対して、キリスト教は、どうしたら、新たな弁証方法を見出すことが出来るのでしょうか? そのためには、ポストモダンという「時代精神」が、キリスト教に対して、どのような課題を突きつけているかを、見る必要があります。


3.今世紀の弁証学の課題

ポストモダンという21世紀の「時代精神」は、実にさまざまな挑戦を、キリスト教に対してつきつけているわけですが、それらの課題を整理すれば、次の三点にまとめることが出来るでしょう。

その第一は「文化多元主義」という課題です。

「大きな物語」が信じられていた、古き良き<現代>においては、「大きな物語」の担い手である西欧世界の文化を、一元的に世界に普及させることに、非常に大きな力が注がれました。それは、共産主義のオルグ活動や、冷蔵庫でキンキンに冷えたコカコーラを普及させる資本主義の営業活動ばかりでなく、キリスト教宣教も、同じであったのです。たとえば、北米から来た宣教師は、現地に到着すると、宣教団体からの豊富な資金によって、庭にプールがある西欧式の宣教師館を建設し、そこを基地として、西欧の言語、西欧の音楽、西欧の服飾、西欧の食品をも、伝え広めました。現地の人々がキリスト教に改宗するとは、単に福音の真理を受容するだけでなく、西欧世界の文化をも優越したものとして、一元的に受容することを意味したのです。

しかし、すでに「大きな物語」が崩壊しているポストモダンにあっては、西欧文化覇権主義は終焉しており、非西欧の言語、非西欧の音楽、非西欧の服飾、非西欧の食品が、西欧世界の文化と対等なものとして、確固とした場所を占めるようになりました。こうして、西欧文化もまた、「多数の中のひとつ」に過ぎなくなったのです。

それはまた、西欧文化と一体化したキリスト教が、「多数の中のひとつ」に過ぎないとみなされることをも、意味することになります。この「文化多元主義」の状況においては、これまでキリスト教を非西欧に対して文化的に優越した像として提示しようとして来た「古い20世紀の弁証学と伝道学」の方法論が、完全に意味を失ってしまいます。北米の南部バプテスト派が21世紀に入って、「ボード方式」の宣教(宣教団体が宣教師に資金を送り、宣教師が現地に宣教師館やミッションスクールなどの拠点を建設して、西欧文化を移植普及させつつ、現地人を教化改宗させる方法)を放棄して、「ハウスチャーチ方式」の宣教に切り替えたのには、そうした背景がありましょう。

その第二は「宗教多元主義」という課題です。

「文化多元主義」が常態となれば、当然次に到来するのは、「宗教多元主義」です。西欧文化が「多数の中のひとつ」にしか過ぎず、他の多くの文化に対して別段優越しているわけでもないのであれば、その西欧が2000年間奉じて来たキリスト教もまた「多数の中のひとつ」に過ぎないことになり、他の多くの宗教に対し何ら優越していないことになります。こうして、キリスト教の「優越性」と「唯一性」という像を提示して弁証し伝道して来た、古い20世紀の「新正統主義」と「根本主義」のキリスト教は、いずれも意味を失うこととなります。もちろん、意味を失うというのは、姿を消す、ということではなくて、もはや「大きな物語」としては機能できなくなり、無数に分岐し専門化した「小さな物語」のひとつとして、サブカルチャー化していく宿命をたどる、ということです。

その第三は「大きな物語の終わり」という課題です。

文化多元主義から宗教多元主義を経て、キリスト教が「多数の中のひとつ」となってしまいますと、これまでキリスト教が提示して来た、宇宙の成り立ちから日常生活の箸の持ち方まで説明し規定し尽くそうとする「キリスト教的世界観体系」というものは、もはや、「数ある多くの物語の中のひとつ」に過ぎない、ということになり、こうして、キリスト教世界観もまた、「小さな物語」の膨大なメニューのひとつに仲間入りすることになります。

「小さな物語」の中だけで生きる人にとっては、その物語は、内部の小さなコミュニティーに意味を与えるだけで必要十分ですから、そのコミュニティーの垣根を越えて発信したり説得したりするようなエネルギーは、行き場を失うこととなります。すると、そのエネルギーは、内向化する力に振り分けられることになるのです。

宇宙の成り立ちを説明しようとする「七日間創造説」は、ダーウィンの『種の起源』発表以前の19世紀前半においては、「普遍史」として、キリスト教神学のみならず、西欧の歴史学に対しても、大前提となっていました。20世紀に入っても、根本主義のキリスト者は、まだなお、「創造説」に基づく「普遍史」を、歴史学の大前提として固守することが出来るし、また、固守すべきであると信じて、南部諸州で裁判を闘いました。ところが、21世紀になりますと、そもそも「普遍史」という考え方自体が、歴史学の世界において崩壊し、無数に細分化された個々人の「小さな物語」によって叙述される、無数の小さな歴史、という「小さな歴史学」が趨勢となって来たのです。こうなりますと、「創造説」を「普遍史」として主張することは、ナンセンスとなり、「創造説」は「個人史」の中でしか、意味づけられないことになってしまいます。北米の根本主義のキリスト者が、公教育での「創造説」の義務付けをめぐる裁判を放棄して、21世紀になると、公教育そのものを否定視するようになり、個々人の家庭で子弟を「創造説」に基づいて教育するという「ホームスクーリング」にシフトして来ているのには、そうした背景がありましょう。


4.ポストモダンの弁証学の姿は?

それでは、上述のような「文化多元主義」「宗教多元主義」「大きな物語の終わり」という課題をつきつけられて、わたしたちは、どのようにキリスト教を弁明し立証して行ったらいいのでしょうか?

この課題について、多くのキリスト者が取り組んでおりますが、来るべき新しい弁証学のかたちについては、いまだ、明らかにはなっていません。しかし、少なくとも言えることは、ジョン・ヒックの「宗教多元的キリスト教」や、巨大な内向的力でどんどんサブカルチャー化しつつある「根本主義のキリスト教」は、論外だ、ということです。

しかし、ポストモダンのキリスト教弁証学の「かたち」に、示唆を与える思想として、ここで三人のキリスト教神学者を紹介したいと思います。それぞれについて詳細に論じると、それだけで数十時間かかってしまいますので、名前と、その特筆すべき思想と、それがポストモダンの状況に対して持つ意義について、簡単に触れるだけとさせてください。

(1)カール・ラーナーの「ケノーシス・キリスト論的・超自然的実存規定」

第二ヴァチカン公会議の方向性を決めた神学者の代表であるカール・ラーナーは、「結合点」の問題について、重要な提案をしました。結合点とは、本来は、神と人間との間のコミュニケーション可能性をめぐる問いであったわけです。ところが、無数の「小さな物語」に細分化されたポストモダンの世界においては、神と人間とのコミュニケーションどころか、人間と人間との間のコミュニケーションすら、絶望視されつつある状況にあります。ラーナーの「ケノーシス・キリスト論的・超自然的実存規定」とは、<キリストの受肉>を徹底的に考え抜くことによって、神と人間との間のコミュニケーション可能性ばかりか、人間と人間との間のコミュニケーション可能性をも「確実」とした、出色のアイデアです。キリスト教弁証学が、このアイデアを採用すれば、ポストモダンの世界像とは、無数の「小さな物語」が、神の普遍的な恩恵によって相互に結び付けられた、「コミュニケーション・ネットワーク」という、希望に満ちた像となり得るのです。

(補足: 主イエス・キリストが母マリアの本質から取りたもうた血と肉において、わたしたち全人類はキリストのペルソナのうちに不可分一体に深く結合されているわけですから、この結合点であるイエス・キリストを通して、人間と神とのコミュニケーションが可能であり、また、この結合点であるイエス・キリストを通して、人間と人間とのコミュニケーションが可能とされています。つまり、わたしたちの世界認識は、コミュニケーションの不可能性から出発するのではなく、イエス・キリストという結合点を介してのコミュニケーションの恒常性から出発するのでなければなりません)

(2)ヘンドリクス・ベルコフの「ストイケイア論」

世界教会協議会のエキュメニズムに多大な貢献をしたオランダの教義学者ヘンドリクス・ベルコフは、「中間領域」について、重要な提案をしました。中間領域とは、本来は、神と人間との間を介在する、創造の秩序としての「一般恩恵」であったわけです。ところが、「宗教文化多元主義」のポストモダンの世界においては、西欧文化という「一般恩恵」が地歩を失い、もろもろの非西欧文化、そうして、無数に細分化されたサブカルチャーが、世界を席巻し占領しつつあるのです。ヘンドリクス・ベルコフの「ストイケイア論」は、<神と人間の間の緩衝地帯としての天使的諸力>を徹底的に考え抜くことによって、無数に細分化されたサブカルチャーにも、「堕罪後の創造の秩序」としての「一般恩恵」の地位を保障し、しかも、文化やサブカルチャーの「悪鬼化」という課題についても、明確な回答を与え、悪鬼化に対処すべきキリスト教会の道筋をも、きちんとつけた、出色のアイデアです。キリスト教弁証学が、このアイデアを採用すれば、ポストモダンの世界において、キリスト教会は、すべての非西欧文化や無数のサブカルチャーについて、それを、キリストの恩恵として、感謝し喜んで用いつつも、しかし、それらの中の悪しき要素については、きちんと抗議して、その是正を求め、その変化に協力するという、是々非々の対応を取ることが、可能となるのです。

(補足: 主イエスが高挙のキリストとして栄光の御座から世界を統治していたもうというキリストの王権的頭首権的支配において、世界は一元的です。そのキリストに対して僕として奉仕している主権の天使・位の天使・支配の天使・権威の天使ら諸権力が、諸民族・諸言語・諸文化・諸宗教というカテゴリーを通して人類の後見人の務めを果たしているこの世界は、現象としては多元的です。こうして、キリストの卓越性・唯一性・至高性という一元性と、キリストが支配するこの世界の多元性とが、栄光の御座において矛盾なく完全に一致しているのです)

(3)オスカー・クルマンの「救済史神学」

第二次世界大戦直後に著した『キリストと時』において、様式史批評と新約聖書神学に拠りつつ、ブルトマンの非神話化論を批判的に超克した神学者オスカー・クルマンは、「救済史神学」という重要な提案をしました。それにより、歴史学の「下部構造」としての「普遍史」を、再びよみがえらせようと目論見たのです。ダーウィンの進化論によって葬り去られたかに見えた「普遍史」は、マルクスの汎神論的な弁証法史観に形を変えて、20世紀まで命脈を保ちました。ところが、ポストモダンの世界においては、ウォーラーシュタインのような「全体知」になお望みを置く一部の歴史政治学を別にすれば、無数の「個人史」「地方史」「社会史」によって専門化され細分化された「小さな歴史学」が主流となり、「普遍史」の場所は、消滅してしまいつつあるのです。オスカー・クルマンの「救済史神学」は、キリストを「時の中心」に据える聖書の時間論を展開することによって、「上部構造」としての<歴史>すなわち・生きられ・経験され・記憶され・叙述され・伝承される・無数の個々の歴史に対して、それらを保障し成立させしめる「下部構造」としての<救済史>を鮮やかに描き出す、出色のアイデアです。キリスト教弁証学が、このアイデアを採用すれば、いまは個々の歴史が相互に関連性を失ってバラバラに存在している「小さな歴史」を、キリスト初臨と再臨という「中間の時」の枠組みを使うことによって、それぞれの固有の「小さな歴史」の独自性を尊重しつつ、「普遍史」という全体の構図の中に、きちんと位置づけることが可能になるのです。

(補足: 下部構造としての救済史は、キリストの初臨から始まってキリストの再臨に向かうという単一のベクトルです。このベクトル上に人類が置かれていますが、キリストの再臨へと向かう終末論の中で、わたしたちはいつも・たえず・つねに福音の宣教の言葉を聞かされ、応答を求められています。この応答の期間は、キリストの再臨をもって終結しますが、その日が来るまでは、人類は後見人としての多様な諸権力、すなわち、天使的諸力によって囲い込まれ分散管理されています。この多様な諸権力による分散管理によって無数の多様な「個人史」「地方史」「社会史」が出来することになりますが、それらはすべて、キリストの再臨の日まで人類の生存を保障するための世界の多様な営みの克明な記録なのです)


結びに代えて: 前カンタベリー大司教ローワン・ウイリアムズの言葉

以上、ポストモダンの状況が、わたしたちキリスト者につきつけている課題が、どのようなものであるかを概観し、さらに、ポストモダンの世界に対してキリスト教を弁明し立証しようと試みる「新しい弁証学」が、どのようなかたちのものになり得るか、それについて示唆を与える、カール・ラーナー、ヘンドリクス・ベルコフ、オスカー・クルマンの思想に、ごく簡単に触れました。「新しい弁証学」の姿は、いまだ、明らかになってはいませんけれども、それが、どのようなものであるべきかを、カンタベリー大司教のローワン・ウイリアムズ師が、次のように述べています。これは、今年の2月にブラジルのポルトアレグレで開催された、第9回世界教会協議会総会の「宗教多元主義の世界におけるキリスト教伝道を考えるフォーラム」で、大司教が行った発言です。その言葉を引用して、この論考の結びの言葉に代えたいと思います。

「イエスが私たちの実存を規定している。そのような場に属することが、キリスト者の自己同一性です」

「キリスト教の究極性は、『自分は絶対的真理を知っている』と主張することではなく、『自分は世界をこう見ている』という世界観にあります」

「キリスト教の世界観は、私たちの心の奥底の傷や恐れを変革し得るものです。まさにそれゆえに、キリスト教の世界観は、世界の最も重要な次元を変革することが出来るのです」

「キリスト教の世界観とは、イエスがおられる場所に依って立ち、イエスの権威のもとで、イエスの命の息を吹き込まれつつ、イエスの眼で世界を見ることにほかなりません」


関連ログ

「カイパーの一般恩恵論のポストモダン性」
「ポスト・エヴァンジェリカリズムの神学」
「『も』を指向する神学」

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