聖句 マタイ16:15-19
夢を見ました。悪い夢でした。悪魔が出て来て、その部下である地獄の長官たちと会議をしていました。「教会を消滅させる方法」について、熱心に話し合っていました。その結果3つの方法が提案されました。クリスチャンを巧妙に誘惑して、3つの方法を行わせて、教会を衰退させ、消滅させてしまう計画です。
1 教会を消滅させる3つの方法
第1の方法は、祈らせないことです。
(1)祈祷会で祈らせないことです。わたしはすらすら立派な言葉で祈れない。祈祷会で祈るのは、だれそれさんに任せよう。祈るのは、だれそれさんの仕事だ。わたしは祈らなくてもいいや。そう思わせることです。みんなにそう思わせることです。やがて、教会から祈祷会が消滅してしまいます。
(2)家庭で祈らせないことです。テレビ、ブルーレイ、Wii、プレステ、iPhone、ネットのほうが面白いと思わせることです。家庭の祈りは、食前の祈りだけで、それもできるだけ短くさせることです。早口がいい。
(3)ひとりで祈らせないことです。朝は眠い、昼間は忙しい、夜は遅くまでいろいろやることがあるという理由で、ひとりで祈らせないことです。祈りは退屈だ、つまらない、効果がない、と思わせることです。自分が祈らなくても、だれか信仰深い人がかわりに祈っているだろう、と思わせることです。
こうしてクリスチャンがだれも祈らなくなります。すると、クリスチャンが祈らないから、教会は油の切れたランプのようになります。油がないので、やがて、火が消えてしまいます。クリスチャンが祈らないから、教会は、武器をもたない軍隊のようになります。みんな丸腰なので、戦いが始まって3分間で打ち負かされてしまいます。
第2の方法は、愛を冷やすことです。
(1)自分の目の中の丸太を忘れさせて、お互いに目のおがくずを取るようにさせることです。
(2)心を狭くさせ、忍耐力をなくさせ、お互いに口うるさく干渉するようにさせることです。
(3)表向きの顔と、裏向きの顔を持たせて、裏でいつでも陰口、悪口を叩き合うようにさせることです。
こうしてクリスチャンの交わりは、とっても居心地の悪いものとなります。特に、小さい子ども、未信者、初心者には特別に居心地の悪い場所となるように、念入りにつまずきの石を配置しておかなければなりません。玄関にも、廊下にも、第二ホールにも、台所にも、礼拝堂にも、つまずきの石を置いておきます。
第3の方法は、意欲を失わせることです。
(1)いままでいろいろやってきたが、どれもうまくいかなかった。だから、これからもきっとだめだろう、と信じ込ませることです。
(2)自分のような半端なクリスチャンは、何もできない。聖霊を受けていない、お祈りもできない、聖書も読めない、証しもできない、伝道なんて絶対できない。そう信じ込ませることです。
(3)夢、ビジョン、将来、可能性、希望、成長、リバイバルという言葉をクリスチャンの会話から消し去ることです。そのかわり、「昔は良かった」「昔はこうだった」「あっちの教会が良かった」「こっちの教会が良かった」「きっとだめだろう」「どうせまた失敗するだろう」という言葉を植え付けることです。
こうしてクリスチャンは夢を語らなくなり、ビジョンを抱かなくなり、将来を信じなくなり、可能性を排除するようになり、希望を捨てるようになり、成長ではなく縮むことを信じるようになり、リバイバルではなくサバイバルに目が行くようになり、こうして、地上から教会を消滅させることができるのです。
2 教会を成長させる3つの秘訣
ほんとうに恐ろしい悪夢ですね。しかし、わたしは悪夢から覚めました。悪夢を消し去るために、今度は教会が成長する3つの秘訣についてみることにしましょう。
イエス様は聖書の中で、なんとおっしゃっているでしょう。マタイ16:15-19をお読みします。
「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』 シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる』」
このみことばから、教会を成長させる3つの秘訣をみましょう。
第1の秘訣は、教会のかしらをみとめることです。
18節に注目しましょう。イエス様は「わたしが教会を建てる」と宣言しておられます。わたしたちの親方はだれですか? 教会の親方はだれですか? 50歳近い、白髪の出始めた、老眼の、いつも腰が痛いと言っている、説教のとき最低10回はかむ、たよりない牧師先生、神父様、小隊長が親方ですか。そうではありません。イエス様が親方です。イエス様が「わたしが教会を建てる」とおっしゃっているのです。ですから、わたしたちはイエス様に祈って、イエス様から夢を、ビジョンを、将来を、可能性を、希望を、成長を、リバイバルを与えていだだこうではありませんか!
第2の秘訣は、祈ることです。
18節でイエス様は、「陰府の力もこれに対抗できない」と宣言しておられます。地獄の力は教会に対抗できない、という宣言です。教会は地獄に打ち勝つのです。どのようにして打ち勝つのでしょう? 天国の力を祈りによって引き出すことによって、勝つのです。19節に「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とあります。わたしたちが祈るとき、天国の力が引き出されます。それでもって、わたしたちは地獄に打ち勝つのです。わたしたちは教会で祈り、家庭で祈り、ひとりで祈り、いつでも祈らなければなりません。
マタイ17:20でイエス様は言われます。「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」
マタイ18:18-20で言われます。「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」
このように、祈り求めれば与えられると約束されています。神様、もっと新しい人を与えてください、もっと集会出席者を増やしてください、もっと広い建物を与えてください。もっと、もっと、祈れば与えられる、というのです。でも、その一方でみことばは、こうも言います。「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」(コリント一13:2)
そこで、わたしたちが第3に必要なのは、愛です。
熱心に祈り合い、熱心に語り合い、夢、ビジョン、将来、可能性、希望、成長、リバイバルを熱く求めても、いぜんとして、お互いに目のおがくずを取ろうとし、口うるさく干渉し、陰口をたたきあっていたら、どうでしょう? 玄関につまずきの石が置いてあるままだったら、前は3人入って来て3人つまずいていたのが、こんどは100人入って来て100人つまずくだけです。つまずきの石を取り除かなければなりません。
コリント一14:1に「愛を追い求めなさい」と言われています。イエス様は、お命じになりました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15:12)
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13:34)
イエス様は、わたしたちを愛するために、神様であるのに、わたしたちと同じ人間のすがたになってくださいました。どこまでも相手に合せる。それがイエス様の愛のすがたです。
イギリスの救世軍士官ジャック・ストーカー少佐は、サンダーランドの小隊長に着任して3か月の間に、多くの酔っ払いが回心したために、町にあった13の飲み屋が閉店したそうです。新会館の定礎式に3000人が出席し、そのために町の造船所や工場は従業員に休暇を与えなければなりませんでした。少佐は、町で犬を飼っている人をみると、「ずいぶん立派な犬を飼っているね? 逃げ出さないかい?」と話しかけて、ずっと犬の話ばかりして、「こんなところじゃなんだから」と言って、お酒を出さない店に連れて行って、ジンジャエールをおごって、相手の犬自慢の話をひたすら聞いて、聖書の話はひとこともしませんでした。こうして友だちになった人が、聖書の話を聴くために、犬を連れてたくさん小隊に来るようになりました。わたしたちは聖別会を犬と一緒にやる覚悟があるだろうか? そんな愛があるだろうか?
少佐は、小鳥好きの人の家に行くと、鳥籠をのぞきこんで、感動して、「いやあ、なんて立派な小鳥だろう。こりゃ自慢したくなるわけだ!」と叫んで、すぐ帰ったそうです。そのあと2回、3回、4回、5回と訪ねるたびに、ひたすら鳥の話ばかりして、お祈りもせず、聖書も読まず、信仰の話もしないで、6回目に、いつものように鳥の話をしたあと、ようやく救いの証しをして、その場で相手を信仰に導きました。その人は救世軍の下士官になりました。わたしたちは、人を救うために鳥好きになれるだろうか? そんな愛があるだろうか?
秘訣は、愛です。イエス様は、わたしたちを救うために、神様であるのにわたしたちと同じ人間のすがたとなってくださった。ここに愛があります。イエス様の愛で救われたわたしたちは、この愛を伝えるために、イエス様がしたように、相手に合せて伝道したいものです。最後にコリント一9:19-23を、現代の状況に引き合わせてお読みして、結びとします。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。できるだけ多くの人を得るためです。この街の市民に対しては、この街の市民のようになりました。この街の市民を得るためです。この国の習慣に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、この国の習慣に支配されている人のようになりました。この国の習慣に支配されている人を得るためです。また、わたしはこの国の習慣を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、この国の習慣を持たない人に対しては、この国の習慣を持たない人のようになりました。この国の習慣を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してはすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。アーメン」
むすびのことば
わたしたちはきょう、教会のかしら、教会の親方がイエスキリストご自身であることを認めて、このイエス様に祈って、イエス様から夢を、ビジョンを、将来を、可能性を、希望を、成長を、リバイバルを与えていただきましょう。そのために、わたしたちは教会で祈り、家庭でも祈り、ひとりでも祈り、いつでも祈りましょう。そして、愛が大切です。イエス様が愛してくださったように、わたしたちも相手に合せて、愛を伝えましょう。そうするならば、わたしたちは地獄の力に打ち勝ち、教会はけっしてなくなりません! ハレルヤ!
夢を見ました。悪い夢でした。悪魔が出て来て、その部下である地獄の長官たちと会議をしていました。「教会を消滅させる方法」について、熱心に話し合っていました。その結果3つの方法が提案されました。クリスチャンを巧妙に誘惑して、3つの方法を行わせて、教会を衰退させ、消滅させてしまう計画です。
1 教会を消滅させる3つの方法
第1の方法は、祈らせないことです。
(1)祈祷会で祈らせないことです。わたしはすらすら立派な言葉で祈れない。祈祷会で祈るのは、だれそれさんに任せよう。祈るのは、だれそれさんの仕事だ。わたしは祈らなくてもいいや。そう思わせることです。みんなにそう思わせることです。やがて、教会から祈祷会が消滅してしまいます。
(2)家庭で祈らせないことです。テレビ、ブルーレイ、Wii、プレステ、iPhone、ネットのほうが面白いと思わせることです。家庭の祈りは、食前の祈りだけで、それもできるだけ短くさせることです。早口がいい。
(3)ひとりで祈らせないことです。朝は眠い、昼間は忙しい、夜は遅くまでいろいろやることがあるという理由で、ひとりで祈らせないことです。祈りは退屈だ、つまらない、効果がない、と思わせることです。自分が祈らなくても、だれか信仰深い人がかわりに祈っているだろう、と思わせることです。
こうしてクリスチャンがだれも祈らなくなります。すると、クリスチャンが祈らないから、教会は油の切れたランプのようになります。油がないので、やがて、火が消えてしまいます。クリスチャンが祈らないから、教会は、武器をもたない軍隊のようになります。みんな丸腰なので、戦いが始まって3分間で打ち負かされてしまいます。
第2の方法は、愛を冷やすことです。
(1)自分の目の中の丸太を忘れさせて、お互いに目のおがくずを取るようにさせることです。
(2)心を狭くさせ、忍耐力をなくさせ、お互いに口うるさく干渉するようにさせることです。
(3)表向きの顔と、裏向きの顔を持たせて、裏でいつでも陰口、悪口を叩き合うようにさせることです。
こうしてクリスチャンの交わりは、とっても居心地の悪いものとなります。特に、小さい子ども、未信者、初心者には特別に居心地の悪い場所となるように、念入りにつまずきの石を配置しておかなければなりません。玄関にも、廊下にも、第二ホールにも、台所にも、礼拝堂にも、つまずきの石を置いておきます。
第3の方法は、意欲を失わせることです。
(1)いままでいろいろやってきたが、どれもうまくいかなかった。だから、これからもきっとだめだろう、と信じ込ませることです。
(2)自分のような半端なクリスチャンは、何もできない。聖霊を受けていない、お祈りもできない、聖書も読めない、証しもできない、伝道なんて絶対できない。そう信じ込ませることです。
(3)夢、ビジョン、将来、可能性、希望、成長、リバイバルという言葉をクリスチャンの会話から消し去ることです。そのかわり、「昔は良かった」「昔はこうだった」「あっちの教会が良かった」「こっちの教会が良かった」「きっとだめだろう」「どうせまた失敗するだろう」という言葉を植え付けることです。
こうしてクリスチャンは夢を語らなくなり、ビジョンを抱かなくなり、将来を信じなくなり、可能性を排除するようになり、希望を捨てるようになり、成長ではなく縮むことを信じるようになり、リバイバルではなくサバイバルに目が行くようになり、こうして、地上から教会を消滅させることができるのです。
2 教会を成長させる3つの秘訣
ほんとうに恐ろしい悪夢ですね。しかし、わたしは悪夢から覚めました。悪夢を消し去るために、今度は教会が成長する3つの秘訣についてみることにしましょう。
イエス様は聖書の中で、なんとおっしゃっているでしょう。マタイ16:15-19をお読みします。
「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』 シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる』」
このみことばから、教会を成長させる3つの秘訣をみましょう。
第1の秘訣は、教会のかしらをみとめることです。
18節に注目しましょう。イエス様は「わたしが教会を建てる」と宣言しておられます。わたしたちの親方はだれですか? 教会の親方はだれですか? 50歳近い、白髪の出始めた、老眼の、いつも腰が痛いと言っている、説教のとき最低10回はかむ、たよりない牧師先生、神父様、小隊長が親方ですか。そうではありません。イエス様が親方です。イエス様が「わたしが教会を建てる」とおっしゃっているのです。ですから、わたしたちはイエス様に祈って、イエス様から夢を、ビジョンを、将来を、可能性を、希望を、成長を、リバイバルを与えていだだこうではありませんか!
第2の秘訣は、祈ることです。
18節でイエス様は、「陰府の力もこれに対抗できない」と宣言しておられます。地獄の力は教会に対抗できない、という宣言です。教会は地獄に打ち勝つのです。どのようにして打ち勝つのでしょう? 天国の力を祈りによって引き出すことによって、勝つのです。19節に「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とあります。わたしたちが祈るとき、天国の力が引き出されます。それでもって、わたしたちは地獄に打ち勝つのです。わたしたちは教会で祈り、家庭で祈り、ひとりで祈り、いつでも祈らなければなりません。
マタイ17:20でイエス様は言われます。「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」
マタイ18:18-20で言われます。「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」
このように、祈り求めれば与えられると約束されています。神様、もっと新しい人を与えてください、もっと集会出席者を増やしてください、もっと広い建物を与えてください。もっと、もっと、祈れば与えられる、というのです。でも、その一方でみことばは、こうも言います。「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」(コリント一13:2)
そこで、わたしたちが第3に必要なのは、愛です。
熱心に祈り合い、熱心に語り合い、夢、ビジョン、将来、可能性、希望、成長、リバイバルを熱く求めても、いぜんとして、お互いに目のおがくずを取ろうとし、口うるさく干渉し、陰口をたたきあっていたら、どうでしょう? 玄関につまずきの石が置いてあるままだったら、前は3人入って来て3人つまずいていたのが、こんどは100人入って来て100人つまずくだけです。つまずきの石を取り除かなければなりません。
コリント一14:1に「愛を追い求めなさい」と言われています。イエス様は、お命じになりました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15:12)
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13:34)
イエス様は、わたしたちを愛するために、神様であるのに、わたしたちと同じ人間のすがたになってくださいました。どこまでも相手に合せる。それがイエス様の愛のすがたです。
イギリスの救世軍士官ジャック・ストーカー少佐は、サンダーランドの小隊長に着任して3か月の間に、多くの酔っ払いが回心したために、町にあった13の飲み屋が閉店したそうです。新会館の定礎式に3000人が出席し、そのために町の造船所や工場は従業員に休暇を与えなければなりませんでした。少佐は、町で犬を飼っている人をみると、「ずいぶん立派な犬を飼っているね? 逃げ出さないかい?」と話しかけて、ずっと犬の話ばかりして、「こんなところじゃなんだから」と言って、お酒を出さない店に連れて行って、ジンジャエールをおごって、相手の犬自慢の話をひたすら聞いて、聖書の話はひとこともしませんでした。こうして友だちになった人が、聖書の話を聴くために、犬を連れてたくさん小隊に来るようになりました。わたしたちは聖別会を犬と一緒にやる覚悟があるだろうか? そんな愛があるだろうか?
少佐は、小鳥好きの人の家に行くと、鳥籠をのぞきこんで、感動して、「いやあ、なんて立派な小鳥だろう。こりゃ自慢したくなるわけだ!」と叫んで、すぐ帰ったそうです。そのあと2回、3回、4回、5回と訪ねるたびに、ひたすら鳥の話ばかりして、お祈りもせず、聖書も読まず、信仰の話もしないで、6回目に、いつものように鳥の話をしたあと、ようやく救いの証しをして、その場で相手を信仰に導きました。その人は救世軍の下士官になりました。わたしたちは、人を救うために鳥好きになれるだろうか? そんな愛があるだろうか?
秘訣は、愛です。イエス様は、わたしたちを救うために、神様であるのにわたしたちと同じ人間のすがたとなってくださった。ここに愛があります。イエス様の愛で救われたわたしたちは、この愛を伝えるために、イエス様がしたように、相手に合せて伝道したいものです。最後にコリント一9:19-23を、現代の状況に引き合わせてお読みして、結びとします。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。できるだけ多くの人を得るためです。この街の市民に対しては、この街の市民のようになりました。この街の市民を得るためです。この国の習慣に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、この国の習慣に支配されている人のようになりました。この国の習慣に支配されている人を得るためです。また、わたしはこの国の習慣を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、この国の習慣を持たない人に対しては、この国の習慣を持たない人のようになりました。この国の習慣を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してはすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。アーメン」
むすびのことば
わたしたちはきょう、教会のかしら、教会の親方がイエスキリストご自身であることを認めて、このイエス様に祈って、イエス様から夢を、ビジョンを、将来を、可能性を、希望を、成長を、リバイバルを与えていただきましょう。そのために、わたしたちは教会で祈り、家庭でも祈り、ひとりでも祈り、いつでも祈りましょう。そして、愛が大切です。イエス様が愛してくださったように、わたしたちも相手に合せて、愛を伝えましょう。そうするならば、わたしたちは地獄の力に打ち勝ち、教会はけっしてなくなりません! ハレルヤ!