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一年の生活を反省しよう

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聖句 ヨハネ一1:5-10

はじめに

神様のおめぐみによって一年間の歩みが守られたことを感謝いたしましょう。それにしても、からだの調子が今年はちょっと悪かったな、という人もあるかもしれません。まあ、新ビオフェルミンSを飲んでるから大丈夫だろ、という気楽な考え方をするのもよいでしょうけど、思い切って人間ドックに入って、血を取って、レントゲンを撮って、からだのどこが悪いかはっきりさせることも大切ですね。

わたしたちの霊魂についても同じではないでしょうか。イエス様を信じているんだけれども、なんとなくめぐまれないんだ。そういう霊魂の状態というものがございます。めぐまれないことの原因はどこにあるんだろう。この一年の最後のご聖日にあって、その原因をみきわめて、反省いたしまして、神様からすっかり赦していただいて、新しい心持ちになって、新年を迎えたいものです。

反省するポイント

わたしたちの霊魂の状態を探るにあたって、大切な聖書のおことばがあります。旧約聖書の詩編139編23節と24節をお読みいたします。

「神よ、わたしを究め、わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください、わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしをとこしえの道に導いてください」

いまどうか神様がわたしたちの心を探ってくださって、わたしたちの霊魂の状態を光の中において明らかにしてくださるように願いましょう。その上で、これから上げるひとつひとつのポイントについて、静かに反省することにいたしましょう。1から27まであります。

(1)わたしは忠実に日曜日の礼拝に出席して、心から神様を礼拝していただろうか?

(2)わたしは神様のお名前を軽々しく唱えたりすることがなかっただろうか?

(3)わたしは毎日心を神様に向けて、お祈りして、いつでも祝福を求めていただろうか?

(4)わたしは毎日聖書を読み、神様の御心を尋ね求め、神様の御心に従おうと努力を払っていただろうか?

(5)わたしは日々の生活の小さなことの中にも神様の愛とおめぐみを見出すようにして、ふさわしい感謝と賛美をささげていただろうか?

(6)わたしは自分に必要なものはなんでも与えられると信じて、神様に率直に祈り求めていただろうか?

(7)わたしは嘘をついたり、うわさばなしをしたり、ひとの陰口をたたいたりしていなかっただろうか?

(8)わたしはひとを裁いて、心に恨み深く思ったりしていなかっただろうか?

(9)わたしは身近な人を、しかりつけたり怒鳴りつけたりして、みじめな気持にさせていなかっただろうか?

(10)わたしの間違った振る舞いを見て影響されたひとが、それをそのまま真似るようなことがなかっただろうか?

(11)わたしはひとのものを盗まなかっただろうか?

(12)わたしは年上のひとに対してふさわしい尊敬の念を示していただろうか?

(13)わたしはひとや自分の家族が困っているときに、すぐに気付いて助けてあげることができただろうか?

(14)わたしは結婚生活から外れた間違った性的な振る舞いをしなかっただろうか?

(15)わたしは異性に対して、いつも尊敬の念をもって言葉を話し、尊敬の念をもって振る舞っていただろうか?

(16)わたしは自分の信仰をひとに対して積極的に証ししていただろうか?

(17)わたしは自分の命と健康を大切にし、ほかのひと、特に自分の家族の命と健康を大切にしていただろうか?

(18)わたしは自分の果たすべき務めを、なまけないできちんと果たしていただろうか?

(19)わたしは自分がするすべてのことを、利己心からではなく、神の愛に
に動機づけられた思いで行っていただろうか?

(20)わたしはアルコールや薬物を濫用したりしなかっただろうか?

(21)わたしは自分に与えられた能力や才能を無駄にしていなかっただろうか?

(22)わたしは自分の心と思いから悪いものを遠ざけ、いつも良いもので心と思いを満たしていただろうか?

(23)わたしは感情や気分に支配されないで、感情や気分をきちんとコントロールしようとしていただろうか?

(24)わたしは自分の時間とお金を無駄なことに用いていなかっただろうか?

(25)わたしはみだらなものを見たり、行ったり、空想にふけったりしていなかっただろうか?

(26)わたしが見たテレビや映画や雑誌は、悪いものではなかっただろうか?

(27)わたしは自分の生活や家族や地域社会に影響をもたらすような大事な出来事や、政治・文化・経済の動きに対していつでも関心を持って、ふさわしい理解を持てるように努力を払っていただろうか? 

反省したあと

以上27のポイントに沿って、わたしたちは今年一年の歩みを反省いたしました。心が痛むことばかりですね。

心が痛む、つまり、良心が痛むということですけれども、わたしたちは、良心に痛みや曇りがあるならば、それによって、気分は沈み、神様のおめぐみを感じるのが難しくなります。神様のおめぐみが消えてなくなるわけではありません。良心というのは、天井の窓ガラスのようなものです。天井の窓が透明だと、太陽の光がさんさんと注ぎます。でも、天井の窓が汚れていると、光は入ってこないで、部屋の中は真っ暗です。太陽が消えたわけではありません。太陽はかがやいています。でも、窓が汚れていると、暗くなるのです。良心もそれと同じです。良心に痛みや曇りがあると、神様のおめぐみをわたしたちは感じ取れなくなってしまいます。

わたしたちがするべきことはヨハネの手紙一第1章9節に明瞭に示されています。それはこれです。「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」

神様に感謝しましょう。わたしたちの今年一年のいろいろな弱さや失敗や愚かさや罪を、イエス様はすべて受け取ってくださいます。イエス様はそれらをすべてご自分の身の上に担って、十字架で死んでくださいました。三日目に復活してくださいました。わたしたちは、イエス様の十字架によって、すべて赦していただくことができます。わたしたちの礼拝の場所の中心にいつも十字架がかかげられているのは、このためです。

こうして、わたしたちは、良心の痛みと曇りから解放されて、透明な良心を持つことができます。神様のめぐみの光を心にいっぱいいただくことができるようになります。

わたしたちは今日27のポイントに沿って反省いたしました。そして、自分の間違いをイエス様によって、すべて赦していただきました。赦していただいたことについては、心を新たにして、来年同じ過ちを繰り返さないように気を付けなければなりません。

わたしはあるとき、めいちゃんという小さな女の子がお口をもぐもぐさせているので、「あんた、おいしそうにもぐもぐしているねえ。なに食べてるの? みせてごらん」と言いましたら、舌をべーっと出して、その上に安全ピンがのっていました。

神様は愛と赦しの神様ですから、神様はこう言うでしょうか。「あら、安全ピン食べてたの? いいよ、いいよ、見なかったふりしてあげるから。そのままもぐもぐしてらっしゃい。だいじょうぶ、だいじょうぶ」 そうおっしゃる神様でしょうか? そうじゃありませんね。「だめじゃないか、べーって吐き出しなさい。べーって」そうやって吐き出させるでしょう? そうして「二度と安全ピンなんか食べちゃあだめだよ」と言うでしょう?

わたしたちは、今年一年の間違いを全部神様に赦していただくことができます。すっかり、全部、残らず赦すために、イエス様は十字架にかかって、尊い命でもってつぐないをしてくださいました。

すっかり赦していただけるからといって、新しい年に平気で同じ間違いを繰り返してはいけません。「二度と安全ピンなんか食べちゃあだめだよ」ということであります。

むすびのことば

どうかわたしたちは心と思いを新たにされて、新しい気持ちで、新しい一年に取り組んでまいりましょう。もちろん、わたしたちは自分の力でそれができるわけではありません。そのために神様は聖霊の力をわたしたちに授けてくださっています。いつでもお祈りして、聖霊の力をいただいて、そうして、間違いや誘惑に対して勝利させていただきましょう。そうして、神様のおめぐみにより来年の最後の日曜日を迎えたときには、自分が今年と比べてみて、どれぐらい進歩することができたか、再びかえりみる時を持ちたいものです。お祈りいたしましょう。

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