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ほんとうの友だち イエスさま

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聖句 ルカ19:1-10

家族のきずなって、とても強いですよね。家族のきずなは強いですから、裏切ったら大変なことになりますね。家族の信頼を裏切ってしまった。もう家族と一緒にいられない。家を出て行く。それは、きずなが強いから、そういうことにもなるわけですよね。

裏切った人が家族のもとに帰ってきたら。受け入れることができますか? よかったね、よくもどってきたね、って、笑顔で迎えられますか? 何事も無かったかのように、家族の生活をまた始めることができますか? むずかしいですね。きずなが強ければ強いほど、むずかしいことですよね。

わたしたち日本人の心の底には、先祖のDNAから受け継いだ「村八分の精神」が息づいている、と言われます。ふだんそんなこと、意識しないかもしれませんね。でも、家族の中で、近所の中で、クラスの中で、職場の中で、友人関係、親族関係の中で、信頼を裏切る人がいたならば、わたしたちはぴしゃりと心の扉を閉じて、もうつきあわない、言葉をかわさない、顔もみない、関係を断ってしまいます。よくあることです。どこででもあることですよね。

でも、そんなことじゃだめなんだ、というのが今日の福音です。だめなんですよ。今日の登場するザアカイという人は、みんなから嫌われていた人です。取税人という仕事をしていた人です。みんなから税金を集める仕事です。税金を集めるんだけど、バックに怖い人たちがついている、そういう立場です。当時、ユダヤの国は世界最強の軍隊、ローマ軍によって占領されていました。ザアカイはローマ軍のために税金を集めてたんです。税金を払わないやつがいたら、兵隊たちを呼んで「兄さんがた、こいつをとっちめてやってくだせえ」ってボコボコにしてもらえたんです。ザアカイがどんなに強気に出てたか、想像できますよね。みんな何も言えないことをいいことに、ザアカイは税金を上乗せして請求していました。上乗せ分は全部自分のポケットに入れてたんです。とんでもないやつですね。ローマ軍、外国の手先、祖国の裏切り者です。村八分にされて当然じゃないですか?

みんなザアカイのことを心の底から軽蔑してしました。だから、イエスさまが来たぞーっ、みんな見に行こーってなったとき、意地悪したんです。わざとザアカイの前に立ちはだかって、背の低いザアカイがイエスさまを見れないように、邪魔したんです。その程度の意地悪って、わたしたちもしたことがあるんじゃないですか? 家族の中で、近所の中で、クラスの中で、職場の中で、友人関係、親族関係の中で、意地悪したこと、ありませんか?

ええ、意地悪したことありますよ。でも、相手も悪いんですよ。だって、ほんとうに、うとましい奴なんだから。意地悪される方にも非があるんです。そういうふうに開き直りますか? そんな光景が、日本中にあります。どこにでもあります。教会の中にだってあるかもしれない。

でも、イエスさまは全然違うんですよ。家族の中で一番嫌われているザアカイ。近所の中で一番嫌われているザアカイ。クラスで一番嫌われているザアカイ。職場・友人関係・親族関係の中で一番嫌われているザアカイに向かって、イエスさまは言うんです。「ザアカイ、今晩いっしょにご飯を食べようよ。おまえのうちに泊めておくれよ。いっしょにお泊り会をしようよ」

みんな死ぬほどショックを受けました。だって、みんなから嫌われているザアカイの友だちになってしまったんだから。いっしょに泊まって食事をする、っていうのは、友だちになるっていう宣言ですよ。このイエスさまの言動をみて、つまづいた人、がっかりした人が大勢いたことでしょう。

わたしたちの見る目と、イエスさまの見る目は、ちがうんですよ。だれかが失敗すると、ここぞとばかりみんなで一斉に叩きますよね。だれかの不祥事が発覚すると、もう全国民的に一億総出で叩きますよね。でも、イエスさまは違うところを見ているんですよ。イエスさまは、失敗して叩かれて批判されてイジメられて世間に顔向けできない、そういう人のことを見ているんですよ。そして、失敗した人に向かって、イエスさまは言うんです。「今日一緒にご飯を食べようよ。おまえのところに泊まるから。みんながおまえを見捨てても、わたしはおまえの友だちだよ」って、イエスさまはおっしゃるんです。

それがわたしたちの主イエスキリストです。わたしたちの目線、わたしたちの生き方、わたしたちの考え方、わたしたちのDNAとは根本的に違うんですよ。これはある意味、ショッキングなことですね。ザアカイ以外のみんながイエスさまにつまづきました。わたしたちはどうですか? わたしたちもイエスさまにつまずくんじゃないでしょうか? ええ? 赦すんですか、イエスさま? だめでしょ、赦しちゃ? この人がどんなことしたか、わかってらっしゃるでしょう? 正気ですか、イエスさま? わたしたちの口からも、そういう言葉が出て来るんじゃないですか?

まったく新しい世界、まったく新しい生き方、まったく新しい人間像というものが、イエスキリストを通して示されているんです。ひとをゆるし、愛し、受け入れる。どこまでもそれをやる。根本的に新しいんですよ。わたしたちがずっとやってきた生き方とは根本的に違う。わたしたちがこの世の諸霊の支配のもとでずっとやってきた生き方とは根本的に違うんです。新しいんですよ。神の国の支配というもの、神の愛の現れというものが、イエスさまをとおして目に見えるかたちで示されているんです。

そして、わたしたちはみんな、そういう生き方、イエスさまと同じ生き方をするように招かれているんです。あなたは、イエスさまと同じ生き方をしたいですか、したくないですか。そう問いかけられている。わたしたちが問いかけられているんです。

わたしたちの多くは、判断を保留するんじゃないですか。うーん、ちょっとむずかしい、今は考えられない、今度にしてください。そうあしらうんじゃないですか? でも、わたしたちはイエスさまからの問いかけを、正面から受け止めなければならないんです。自分はどうするか、決めなければならないんです。

イエスさまと同じになりたいですか? もしそれを選択するならば、それは、古い生き方、古い考え方、古いDNAを捨てて、新しい人間になりたい、新しい人間になることを選ぶ。それを意味します。簡単には決断できないことです。でも、心を決めた、覚悟を決めた人がいたんです。それがザアカイです。

ザアカイは、イエスさまに触れて、まったく新しい世界、まったく新しい生き方、まったく新しい人間像を知ったんです。そして、感動したんです。自分がこれまでずっと生きて来た生き方とは根本的に違う世界。愛の世界に触れて、感動したんです。だからザアカイは、覚悟を決めたんです。わたしは新しい人間になりたい。古い生き方を思い切って捨てよう。ルカ19:8に「ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』」 ザアカイは生き方を180度転換しました。いままでずっとひとをだまして生きて来た。でも全部それをやめて、うばったものを償います。彼は悔い改めたんですよ。

ひるがえって、わたしたちはどうでしょう? いや、わたしじゃない。悔い改めなけりゃならないのは、あいつだろ。そう思っているかもしれませんね。主よ、そうじゃないんです。正しいのはわたしです。間違ってるのはあいつなんです。悔い改めなけりゃならないのは、あいつの方なんです。わたしたちはそう思っているかもしれませんね。

でも、イエスさまの回りでは、不思議なことがおこるんです。悪いやつ、間違ってるやつ、悔い改めなけりゃならないやつ、村八分にされているやつ。イエスさまは真っ先にそういう人の友だちになるんです。イエスさまと友だちになった人は、うれしくって、うれしくって、生き方を変える決心をするんです。悔い改めるんですよ。わたしたちはそれをみて、あっけにとられます。そして、自分のほうは「それでも自分は間違ってない」と言って、悔い改めることはしないんです。

そんなわたしたちのために、もちろん、イエスさまは、友だちになってくだいますよ。イエスさまは、ザアカイのように嫌われている人も、あるいは、ザアカイのことを嫌って意地悪しているような人も、友だちになってくださいます。イエスさまは、わたしたちにも言ってくださるんです。「今日一緒にご飯を食べようよ。おまえのところに泊まるから。みんながおまえを見捨てても、わたしはおまえの友だちだよ」 ほんとうですか? ほんとうに友だちになってくださるんですか? イエスさまはおっしゃいます。「ほんとうだよ。わたしはおまえのために十字架にかかったよ。身代わりに死んだよ。三日目に復活したよ。それは、おまえがゆるされて、愛されて、生かされて、生きるためだよ。絶対見捨てないから、わたしと一緒に生きていこう。生きていいんだ。生きなきゃいけないんだ」 イエスさまは、みんなにそう言ってくださる救い主です。イエスさまについて行きましょう。そして、どうかわたしたちもザアカイのように心を決めて、古い生き方を捨て、新しい生き方を始めることができますように。お祈りいたしましょう。

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