聖カスバードが眠るダラム大聖堂にて「ソウルケーキ」を歌うスティング
日はすっかり短くなり、空気は冷え冷えとし、セーターを羽織ろうかと思う日もあるぐらいになってきた。
いにしえの人々は、こういう暗く冷たくなってゆくさまを、世界の衰え行くすがたとして感じた。すなわち、豊かな秋の実りを生み出した世界が、その生命力を枯らして、すこしずつ老い、死んで行くのである。
この緩慢な死の進行が極みに達して「冬至」となる。この極みにおいては、生者の世界は、死者の世界と大差無くなるんだから、平常は両者を厳然と隔てていた結界が解けてしまう。こうして、冬至の時期の前後に、死者の世界の住人が、生者の世界を来訪することになる。
来訪する「客人」としての死者の世界の住人は、飢えている存在である。なぜなら「根の国」である大地・森・山・海は、豊穣と死の両義をなしていて、自らが衰え死ぬことと引き換えに、秋の豊かな実りを人間に譲り与えるからである。たくさん譲り与えた結果として、客人は暗く冷たくなり、飢える。
それゆえ客人は、生者の世界に来訪して、供応を要求しなければならない。訪れた村々、家々で、大地の実りのしるしであるクッキーをふるまわれた客人は、再び生命力を取り戻して、来年の豊作を約束し、死者の世界へ帰って行くことになる。こうして世界のネジは巻き直され、氷が溶けて、春になるのだ。
古いヨーロッパでは、冬至の前後の時期、村の子どもたちが死者の世界からの来訪者に扮装して、家々を訪ね歩き、供応のしるしとしての「ソウルケーキ」を乞い求めた。
ソウル、ソウル、ソウルケーキ!
おねがいだよ、おかみさん、ソウルケーキ、おくれよう!
ひとつはペトロに、ひとつはパウロに
三つは、すべての造り主なるおかたに!
ソウルケーキ、ソウルケーキ
たのむよう、おかみさん、ソウルケーキ!
りんご、ナシ、あんず、さくらんぼ
おいしいもの、なんでもくれたら、おおよろこびだよ
ひとつはペトロに、ひとつはパウロに
三つは、すべての造り主なるおかたに!
こう放歌しつつケーキをもとめて歩き回る「ソウリング」の習慣が、万聖節前夜祭(ハロウィン)の「トリック・オア・トリート!」(お菓子をくれなきゃイタズラするよ!)の原型になったであろう、と言われている。
さらにはまた、クリスマスに来訪する魔女ベファーナ、マダムノエル、クリストキント、ルチア、ユールトムテ、パブーシェカ、ヨールスヴェン、サンタクロースも、その原型は、死者の世界からの来訪者であろう、と言われている。
死者の世界からの来訪者はまた「審判者」の様態を取ることがある。自らが衰え死ぬことと引き換えに、秋の豊かな実りを人間に譲り与えた「客人」であればこそ、相手の人間が感謝の心を忘却し悪しき欲望をほしいままにするような場合には、人間を叱責し災忌を与える権利を有している。かくして客人は、人間がこの一年間どう生きたかについて裁く審判者として到来し、これに由来する古俗が、ヨーロッパの山奥に「恐ろしい聖ニコラス」としていまも残っている。
中世の教会は、待降節の期間中、教会の内陣を「黒一色」で埋めた。それは、世界が暗く冷たくなって行くなかで、信者らがじっと静かに来訪者の到来を待つためであった。すなわち、十字架上で自らの命と引き換えに永遠の生命を人間に与えたキリストは、人間がその生涯をどう生きたかについて裁く審判者として到来する。キリストの到来(アドベント)である。クリスマスとは、審判者キリストの到来を待ち望む、悔い改めの季節でもあったわけである。