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まさしくわたしだ!

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聖句 ルカ24:1-12・36-43

イエス様が十字架につけられたのは金曜日のことです。

ユダヤ教では、金曜日の日没と同時に、安息日が始まります。安息日には、いかなるものも運んではならない掟です。ましてや、死んだ人のからだを運ぶなど、もってのほかのことです。

ですから、十字架につけられて死んだイエス様のおからだを、どうしても日が暮れてしまう前に、急いで墓に収めなければなりませんでした。イエス様が息を引き取られたのは、金曜の午後3時頃のことです。そこから日没まで、3時間ほどしかありません。

アリマタヤのヨセフという、たいへん勇気のある人が、イエス様のおからだの引き取りを申し出ました。ほうむりをするためには、ほんらいでしたら、防腐剤である乳香や没薬をご遺体に十分にすりこんでから包帯を巻くのです。それが、ほんらいの御弔いの仕方です。

ところが、日没がどんどん迫っています。とりあえず、イエス様に包帯だけ巻いて、急いで運んで、墓に収めてしまいました。墓の扉を閉めると同時に、日が暮れて、安息日が始まったのです。

イエス様を心から慕っていた女の弟子たちは、安息日が明けたならば、まっさきにお墓に行って、イエス様のおからだに乳香と没薬をすりこんで差し上げたい。そう願いました。それができないとしたら、御弔いは半分しかできないことになるからです。

ほんとうの御弔いをするために、女の弟子たちは墓を訪ねました。すると、墓はからっぽでした。そして、天使が彼女たちに出会って、こう告げたのです。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24:5-6)

女の弟子たちは、息せき切って走って行きました。「イエス様が復活なさった! ほんとうに復活なさった!」 このときの言葉を、ギリシャ正教やロシア正教の人たちは、今日もイースターの合言葉の挨拶として使っています。正教では、キリストのことを「ハリストス」と言います。こういう挨拶です。「ハリストス復活! 実に復活!」

しかし、男の弟子たちは、ちっとも信じようとしませんでした。むしろ、女の弟子たちは、悲しみのあまり、頭がおかしくなってしまったのだと考えました。「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」(ルカ24:11)と聖書にあります。

イエスキリストの復活。それは、当のキリストの弟子たち、使徒たちすら、信じることのできない、人間の理解を超えた出来事でありました。男の弟子たちは、キリストの復活をどう考えるべきか、集まって議論しました。男とは、そういうものです。何事も簡単には飲み込めない。まず集まって議論しなければならない。

そうしていると、その真ん中に、復活のキリストご自身が出現して、こう言われたのです。「なぜ、うろたえているのか? どうして心に疑いを起こすのか? わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ!」(ルカ24:36・38)

主イエスキリストは、今日もわたしたちに語りかけられます。「なぜ、うろたえているのか? どうして心に疑いを起こすのか?」 

わたしたちは今日、小隊(教会)の墓地の前に集まって、墓石を見つめています。ここに納められている人たちのために、十分な御弔いが出来ただろうか? ここに収められている人たちは、ほんとうに聖書に約束されているとおりに、終わりの日によみがえるのだろうか? そういう心の疑いがわたしたちにもあります。

だから、今日も主イエスはおっしゃるのです。「なぜ、うろたえているのか? どうして心に疑いを起こすのか? わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ!」 

この墓に納められた人たちはみな、信仰を通して主イエスキリストに結ばれている人たちですから、主がよみがえられたごとく、この人たちも終わりの日によみがえるのだと、わたしたちは信じて、待っています。終りの日に、彼らは、新しいからだ、新しい手、新しい足、新しい顔を与えられて、わたしたちの目の前に出現するでしょう。彼らは言うでしょう。「わたしだよ! まさしくわたしだよ! あなたのもとに帰って来たよ!」

復活された主イエスキリストは、驚いている弟子たちの前で、焼いた魚を召しあがりました。主イエスは、弟子たちと共に食事の交わりをなさいました。

この墓に収められている人たちが、終わりの日に復活して帰って来るとき、彼らは何か空気のような存在、精神的な存在、観念的な存在として帰って来るのではありません。一緒に焼き魚を食べることができるような、リアルな人間、ほんものの人間として帰って来るのです。そんなことがあるだろうか? 男の弟子たちが疑ったように、わたしたちもそんなことは、なかなか信じることができないのです。

しかし主イエスは今日もおっしゃいます。「なぜ、うろたえているのか? どうして心に疑いを起こすのか? わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ!」 

この主のお言葉に促されて、わたしたちは復活の信仰に今日ふたたび固く立ち直したいと思います。祈りましょう。

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