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恐ろしかったからである ・・・宣教する実存としてのマルコ

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「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(マルコ16:7-8)

マルコによる福音書には、「長い末尾」と呼ばれる終わり方と、「短い末尾」と呼ばれる終わり方と、二通りが知られています。これは、写本によって異なっておるのです。わたしたちの新共同訳聖書では、長い末尾を「結び一」として収めており、ちょうど16:9-20がそれにあたります。一方、短い末尾は「結び二」として収められております。

ところが、そもそもマルコが書いた福音書の本文には、「結び一」も「結び二」も、付いていなかったであろう、ということがわかっています。これは、古い写本の比較研究から明らかになったことです。

そうしますと、マルコがインク壷に筆を浸しつつ羊皮紙に書き進めた福音書は、わたしたちが先ほど読んだ16:8のところで終わっていた、ということになります。その最後の言葉は、こうです。「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」

「恐ろしかったからである」 この言葉をもって、マルコは福音書を終わろうとするのです。実に奇妙な終わり方です。福音書とは、ユーアンゲリオン、すなわち、喜びの訪れを伝える書、ということであります。喜びの訪れを伝える書が、「恐ろしかったからである」という言葉で閉じられている。これほど奇妙なことが、あるでしょうか?

ひとつの考え方として、主イエスキリストの復活という出来事が、人間の理解を超えた、畏怖すべき出来事であった。常識的な世界に生きているわたしたちを、骨の芯まで戦慄させるほどの、異常な出来事であった。その恐ろしさを伝えるために、マルコは「恐ろしかったからである」という言葉で福音書を閉じたのだ。そういう考え方が出来るでありましょう。

しかし、わたしたちはむしろ、この福音書を書いたマルコが、どういう人であったかを考えることによって、この奇妙な終わり方の謎が、解けるのではないかと思うのです。いったい、マルコは、どういう人であったのでしょうか?

マルコによる福音書の成立については、西暦四世紀の教会史家エウセビオスが残した『教会史』という書物の中で触れられております。このエウセビオスという人は、ローマ帝国によるキリスト教会への激しい迫害が一転して、キリスト教が公認され、さらにはローマ帝国の国教になるという、激動の時代を生きた人です。西暦325年に、皇帝コンスタンティヌスの召集により、ニケア公会議が開催され、そこにおいて「神人二性一人格」という正統教会の教義が決定されたわけですが、エウセビオスはこの会議で、皇帝の右に着席し、開会の挨拶を述べております。これほどの光栄に与ったのは、エウセビオスが教会の中でもっとも博識な人であり、当時の教会の中でも最も名が知られた著作家であったからでありました。

そのエウセビオスは、マルコによる福音書の成立について、次のように述べております。
「神への敬虔の光は、使徒ペトロの言葉を聞く者たちの精神を深く照らした。そこで彼らは、神の教えを一度聞くだけでは、あるいは、書かれていない教えだけでは、満足せず、ペトロの同伴者だったマルコに、言葉を用いて自分たちに伝えられた教えの要約を、文書に書いて残してくれるようにと、あらゆる手だてを尽くして頼み込み、その願いをマルコが承知するまで、やめなかった。
こうして彼らは、『マルコによる福音書』と呼ばれる文書を誕生させたのである。使徒ペトロは、聖霊の啓示を受けて、マルコの作品を知るや、この者たちの熱意を喜び、そして、その文書が教会で朗読されるのを承認した、と言われる。クレメンスは『ヒュポテポセイス』第六巻でこの話を紹介し、ヒエラポリスの司教パピアスも、同じくそのことを証ししている。パピアスはまた、ペトロの第一の手紙の中で、マルコのことが触れられている、と指摘している。ペトロは、第一の手紙をローマで書いたと言われる。そのことは、ペトロ自身が、『共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています』と言って、ローマをバビロンに譬えたことによって示している。
このマルコは、自分自身が書いた福音書を宣べ伝えるためにエジプトに遣わされた最初の者であり、また、アレキサンドリアに教会を建てた最初の者と言われる。エジプトでの最初の宣教の試みによって信者になった男女の数は極めて多かった」

初代教会の初めの頃、主イエスキリストの福音は、ただ、口で伝えられているだけでありました。しかし、耳で聞くだけではもの足りず、なんとしても、文字に記された教えを手に入れたい、と願った人々がいたのです。この人々は、ペトロの同伴者であったマルコに、しつこく頼み込み、とうとうマルコは根負けするかたちで、福音書を書くに至った。それからマルコは、エジプトへ出かけて行って、福音を宣べ伝えた。第四世紀の教会史家エウセビオスは、そのようにわたしたちに告げております。

マルコは、福音書記者聖マルコとして今日、エジプトの守護聖人とされているわけですが、しかし、マルコには、そのようになる以前の「過去」があったのでありました。この過去については、エウセビオスは『教会史』では触れておりませんけれども、わたしたちが聖書を読みますと、マルコが、どのような過去を歩んだ人であったのかが、手に取るように、わかるのです。

まず使徒言行録第12章を見てみましょう。そこでは、ヘロデ大王が、ユダヤ人たちの歓心を買うために、使徒ペトロを逮捕し、牢屋に投げ込んだことが記されています。しかし、主がお送りになった天使によって、ペトロは奇跡的に牢屋から解放されたのでした。夜遅く脱出したペトロが帰って来たのが、ヨハネと呼ばれていたマルコの家でした。マルコの母マリアの家、つまり、マルコの実家には、大勢の弟子たちが集まって、獄中のペトロの解放を願って、徹夜の祈祷会を行っている最中でした。

この記事を見ますと、マルコの実家は、エルサレムでも相当大きなお屋敷であったことがわかります。あのペンテコステの聖霊降臨の時に、120人もの弟子たちが集まって十日間の祈祷会をした「二階座敷」と呼ばれる場所もまた、相当に大きなお屋敷でした。ですから、聖書学者の中には、この二つを結び付けて、二階座敷はきっとマルコの家だったに違いない、と考える人もおります。二階座敷と言いますと、それはまた、最後の晩餐が行われた場所でもあります。そうだとしますと、最後の晩餐、ペンテコステ、ペトロの解放という三つの大きな出来事が、いずれもマルコの家で起きたことになり、当然マルコは、それらすべてを、自分自身で間近に目撃していた、ということを、わたしたちは考えなければなりません。

そういうマルコでありますなら、主イエスキリストの公生涯、十字架の死、復活、昇天、ペンテコステ、初代教会の設立と、すべてについて、マルコ自身が直接体験した、生き証人ということになります。主の死と復活を間近に見た、ということが、使徒として立てられるための条件でありましたから、そうしますと、マルコは使徒に準じる者、準使徒だ、と言うこともできるでありましょう。

そのようなマルコが、主イエスキリストの筆頭の弟子であるペトロの助手となって、宣教旅行のお伴をして各地を回った、というのは、自然に納得できることです。そうして、わたしたちは、使徒言行録に記された宣教旅行の記事において、マルコの「過去」に触れることになるのです。

マルコは初めは、ペトロの助手として、宣教旅行のお伴をしていたのですが、使徒言行録第13章を見ますと、今度はパウロとバルナバの助手となって、お伴をして行ったことがわかります。コロサイの信徒への手紙によれば、マルコは、バルナバのいとこである、と言われています。ペトロのもとで、多少とも宣教旅行の経験と訓練を積んだ、いとこのマルコを、バルナバは、自分の助手、また、パウロの助手として、宣教チームに迎え入れたいと願った。その願いが聞き届けられて、マルコはペトロのもとから、バルナバとパウロのもとへ、移ったのでありましょう。使徒言行録13:4にこう言われています。「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた」 このヨハネが、ヨハネと呼ばれていたマルコであります。

マルコは、パウロとバルナバの助手として、宣教旅行のお伴をしていたのですが、途中でホームシックにかかり、エルサレムのお母さんのもとへ逃げ帰ってしまいます。13:13にこう言われています。「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」

マルコは、途中で宣教チームから離脱してしまったのです。マルコは、とんだ意気地無しだったのでしょうか? 

しかし、マルコが抜けても、そのまま宣教にまっしぐらに進んで行ったパウロとバルナバが、行った先々で、どんな目に遭ったかを見ますと、ある意味、マルコの「逃げる」という判断、「逃げる」という選択は、合理的でもあり、当然でもあったように思われるのです。マルコが抜けて、進んで行ったパウロとバルナバは、ピシデヤのアンテオケで迫害を受け、イコニオンで石を投げられ、リストラでも石を投げられ、パウロは死んだような状態になってしまいます。いや、ほんとうに死んだのかもしれません。そこからパウロは、奇跡的に起き上がって、怒り狂った群集の中から脱出し、なおも宣教し続けたのです。

生きる、ということは、危険を冒すことであり、あえて危険を冒す決断をすることが、ほんとうに生きることである。このような決断に生きる人のことを、「実存」と言いますけれども、危険をかえりみずにつき進んで行ったパウロとバルナバの姿は、まさに「宣教する実存」とでも言うことが出来るのではないでしょうか。

そうして、マルコという人は、「宣教する実存」でありたいと願いながらも、「宣教する実存」になり得なかった。後ろを向いて、逃げ出してしまった人だ、と言うことができるでありましょう。

宣教する実存そのもの、あるいは、宣教する実存の燃える塊のようであったパウロからしてみれば、当然、マルコは、許すこのとできない卑怯者です。パウロは、自分の手紙の中で、「わたしは死んでもかまわない」「キリストのためなら死んでも本望だ」ということを、何度か述べています。手紙で書いているぐらいですから、宣教旅行の途上の会話の中で、パウロはそんな言葉を何度となく口にしたはずでありましょう。マルコは、そんなパウロの言葉を、どんな気持ちで聞いていたのでありましょうか? おそらく、聞くたびに、ぞっとして、自分には出来ない、自分には無理だ、お母さんのもとへ帰りたい、と思い詰めていたのではないでしょうか?

第一回の宣教旅行を終えて、エルサレム教会での会議に出席したパウロとバルナバは、会議を済ますと、自分たちの本拠地であるアンテオケ教会に戻り、小数日滞在した後、第二回の宣教旅行に出発いたしました。このとき、バルナバは、あの途中で逃げ帰ってしまったマルコを、「今度こそ」という思いをもって、連れて行こうとしたのです。しかし、パウロは、どうしてもマルコを許すことが出来ませんでした。使徒言行録15:37-39にこう記されています。「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになった」

二度目のチャンスをマルコに与えてやりたい。そうバルナバが考えたのに対して、パウロは、一度つまずいた者に二度目のチャンスを与えようとは考えませんでした。バルナバには「慰めの子」という意味がありますが、パウロが宣教に命がけで燃えて、燃え尽きるタイプであったのに対して、バルナバは、どこまでもやさしく、包み込むような、優れた牧会者のタイプであったようです。

パウロの判断は、あまりに気の短い、頑固な判断だったのでしょうか? わたしたちはここで、パウロを批判したくなるかもしれません。しかし、マルコの参加を拒否して宣教へとつき進んで行ったパウロが、その後、行った先々でどんな目に遭ったのかを見てみますと、いや、むしろ、パウロは本当はマルコのことを心配して、参加を拒否したのではあるまいか、とすら思われるのです。フィリピで、パウロの一行は投獄され、何度も鞭で打たれます。テサロニケでは、暴動を起こした群衆に襲われます。アテネでは、教養人たちに鼻で笑われ、無視されます。コリントでは、口汚くののしられ反対されます。もしマルコがお伴に加わって、そこに一緒にいたら、と想像したら、どうでしょう? マルコが、それらの試練に耐えることが、出来たでしょうか? 大いに疑問だと言わねばなりません。それゆえ、バルナバがマルコを心配して、一緒に連れて行こうと思ったのと同じぐらい、あるいはそれ以上に、パウロはマルコを心配して、一緒に連れて行くのに反対したのです。

さて、宣教チームへのマルコの参加を拒否したパウロは、燃え上がるような「宣教する実存」として、第二回の宣教旅行に出発して、各地で苦難に遭いながらも、教会の基礎を固めて、戻って来ました。パウロが語る報告を聞いて、あの、拒絶され、おいてけぼりにされたマルコは、どんなふうに感じたことでしょう? つくづく自分のことを、意気地の無い弱虫、卑怯者、信仰の薄い者、というふうに感じたのではないでしょうか?

そのマルコは、しかし、「宣教する実存」であろうとすることを、やめてしまったわけではありませんでした。教会史家エウセビオスの述べるところによれば、マルコは、その後、再びペトロのお伴となって、一緒に宣教旅行をし、ローマにまで行ったことが、わかります。そうして、そこへ、ローマへ、皇帝の裁判を受けるために、使徒パウロも遅れて到着するのです。皇帝の裁判が開始されるまで、ローマで軟禁状態に置かれたパウロは、いわゆる獄中書簡と呼ばれるエフェソ書、フィリピ書、コロサイ書を、ローマで書いたわけですが、この獄中書簡には、マルコの名前が出てまいります。コロサイの信徒への手紙4:10に、こう記されています。「わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです」

わたしたちは、ここを読むときに、なんだか嬉しくなるのではないでしょうか。ここには、パウロから任務を委ねられて、ひとりでローマからコロサイへと、今まさに旅立とうとしているマルコ、まさに「宣教する実存」として、生き生きと活動しようとしている、わたしたちのマルコの姿を、見ることができるからです。

そうしますと、マルコという人は、ひとたびは「宣教する実存」として生きようと決意したにもかかわらず、恐ろしくなって、背を向けて、逃げ出してしまった人であります。逃げ出してしまったのだけれど、それでも「宣教する実存」として生きたい、という願いを持ち続けた人であります。その願いは、パウロによって、ぴしゃりと冷水を浴びせられるように拒絶されてしまうのです。しかし、マルコは、ついには「宣教する実存」として、パウロと肩を並べて、一緒に福音を宣べ伝える、というふうにまで、なった人なのです。

ひとたびは「宣教する実存」として生きようと決断していながら、恐れのために、そこから逃げ出してしまう。この逃亡を、「宣教する実存からの退落」とでも言うことができるでありましょう。そうして、マルコが、ひとびとからうるさくせがまれて、しぶしぶ福音書を書いてみる気持ちになったとき、彼の心の中にふつふつと沸き起こって来たテーマは、「宣教する実存」そうして「宣教する実存からの退落」であったのではないでしょうか?

そのように考えて、マルコによる福音書を見てみるならば、その冒頭、いきなり洗礼者ヨハネが、荒れ野で宣教している姿を、わたしたちは見させられます。その姿は、まさに、命がけで「宣教する実存」であります。そうして、すぐ、わたしたちは、主イエスがヨルダン川で聖霊を受ける姿を見させられます。イエスは、荒れ野の誘惑に打ち勝たれて、すぐに、宣教に出て行かれます。そうして、ガリラヤ湖のほとりで、漁師たちに会い、彼らを弟子としてお召しになります。すなわち、「あなたがたも『宣教する実存』になりなさい」という召命を、お与えになるのです。弟子たちは、すぐ、イエスに従います。そうして、イエスは、町から町、村から村とめぐり歩いて、宣教されるのです。1:38で、主イエスはこのように言われます。「わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」

これだけのことが、わずか第一章において、すべて、わたしたちに見させられるのです。まさに、宣教することが、生きることである。マルコは、主イエスキリストを「宣教する実存」として、捉えておりました。マタイは、第一章を、系図に費やしました。ルカは、第一章を、マリアとエリサベトの物語に費やしました。ヨハネは、第一章を、深遠なキリスト論に費やしました。しかしマルコは、ただ「宣教する実存」に、関心があったのです。

そうして、マルコは、福音書において、「宣教する実存」が遭遇するところの苦難について、記すのです。洗礼者ヨハネは、逮捕され、投獄され、首を切られます。主イエスキリストは、人々の手に引き渡され、殺されます。「宣教する実存」が遭遇するところの苦難を見て、イエスの弟子たちは、次々に、逃げ去ります。あのガリラヤ湖のほとりで、「あなたがたも『宣教する実存』になりなさい」との召命を受けて、主イエスに従った弟子たち。ペトロに至っては、「先生と共に死なねばならないのなら、死にます」とまで宣言していました。確かに、弟子たちは、召命の原点において、命がけで「宣教する実存」になろう、という決断をした人たちでありました。しかし、主イエスは捕らえられました。主イエスは殺されようとしております。その時、弟子たちはみな、恐れたのです。主イエスを見捨てて、逃げ出したのです。まさに「宣教する実存からの退落」が、弟子たちに起きていたのです。

マルコは、「宣教する実存からの退落」を、実によく理解することができました。なぜなら、マルコ自身が、そのように、逃げた者、背を向けた者、宣教する実存から退落した者であったからです! それゆえ、主イエスがゲッセマネの園で捉えられた、暗い夜の描写の中に、裸になって逃げて行く若者の姿が差し挟まれていることに、わたしたちは注目させられるのです。わたしたちは、これはおそらく、マルコ自身の姿であろう、と考えざるを得ないのです。14:51にこう記されています。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」

イエスについて行きたい。「宣教する実存」として生きたい。そう願いながらも、恐ろしくて、逃げ出してしまったマルコ。マルコは、自分自身の姿を、この、裸になって逃げた若者として、ゲッセマネの園に置いたのではなかったでしょうか?

このようにして、マルコは、宣教から逃げ出した自分の裏切りを、主の十字架の前における、あのペトロの裏切りの中に、重ね合わせて、見ているのです。あの暗い夜、ペトロは、「わたしはイエスなど知らない」と三度も誓って、主を裏切ったのでした。その裏切りの罪の恐ろしさ、苦しさ、悲しさについて、ペトロは、マルコに、何度も何度も、涙ながらに語ったことがあるに違いありません。ペトロとマルコが宣教旅行で寝起きを共にする、その生活の中で、ペトロは、自分がどのような「過去」を歩んできたのかを、マルコに、つぶさに語ったことでありましょう。

しかしまた、マルコは、そのペトロから聞かされて、知ったのです。「宣教する実存」が、恐れのために、逃げ出し、退落することがあるとしても、主イエスキリストは、再び、お招きになる。それでも「宣教する実存」になりなさいと、二度目の召命をお与えになる。実に、この二度目の召命があればこそ、いまペトロは使徒として、マルコの目の前に立っているのでした。

主イエスが復活されて、ガリラヤのほとりでお与えになった、二度目の召命について、ペトロは、つぶさにマルコに語ったに違いありません。主を裏切ってしまったペトロに対して、復活の主イエスは、「おまえはわたしを愛するか」と問いかけられて、再びペトロを弟子として、「宣教する実存」を生きる者として、お召しになったのです。これが、二度目の召命であります。

主イエス・キリストが再びお会いくださる。それは、原点において、すなわち「召命の原点としてのガリラヤ」において、であります。一度目に、主イエスは、ガリラヤにおいて、「宣教する実存」になるようにと、弟子たちをお召しになりました。二度目に、主イエスは、やはりガリラヤにおいて、「宣教する実存」になるようにと、失敗した弟子たちを、お召しになりました。

この、二度目のガリラヤへと、主イエスキリストは、わたしたちを招いておられます。主イエスは、わたしたちに先立ってガリラヤへ行かれ、この、二度目のガリラヤにおいて、すなわち、わたしたちの召命の原点において、わたしたちを待っておられます。

福音書記者マルコは、このように記します。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」

「先に行って待っておられる」という主の約束。この約束に対する信頼のうちに、ペトロは、弟子たちは、ふたたび、献身と服従の決断をいたしました。失敗、裏切り、逃亡、それにもかかわらず、再び「宣教する実存」として生きることを、決断したのです。

主は「先に行って待っておられる」と、いまや、告げられております。この、召命の原点に帰るようにとの招き。この、再献身への招きが、いま、なされております。しかし、それを聞くマルコは、恐れるのです。かつては自分も「宣教する実存」であったが、ひとたびそこから退落し、いまは主体性を失って、失望のうちに沈んでいる。しかし、マルコは、再献身の招きを受けるのです。「それでもなお宣教する実存たれ」と、主イエスキリストから呼ばれるときに、マルコは、恐れおののかざるを得ないのです。

福音書記者マルコは、記します。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」

かつて「宣教する実存」として生き、そうして失敗し、逃げ去った者たちはみな、「宣教する実存」として生きる者に、何が待ち受けているかを、自らつぶさに見て、知っております。すなわち、反対する者たちが「口汚くののしって、パウロの話すことに反対した」「二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした」「パウロに石を投げつけ、死んでしまった」「何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込んだ」「足に木の足枷をはめておいた」「暴動を起こし」「家を襲い」「あざ笑い」「法廷の前で殴りつけ」「パウロを殺そうとしていた」 こういうことが、「宣教する実存」として生きる者たちを、待ち受けているのであります。

それらを知っているゆえに、マルコは、逃げ出したのです。そうして、主イエスキリストは、そこへ、そういうことの中へ、「宣教する実存」として生きることの真ん中へ、戻って行くようにと、再びマルコをお呼びになっているのです。だれが、恐れおののかずにおられましょうか! しかも、この恐れおののきの中に、決断することが、わたしたちに、求められているのです。

この「決断」を迫られる者は、すべてみな、恐れおののきます。マルコは、恐れおののきました。マルコはまた、その同じ恐れおののきのうちに決断することを、福音書の読者すべてに、迫ろうとしているのです。

この「決断」が、今日、わたしたち、マルコの福音書を読むひとりひとりに、求められている決断であります。

わたしたちは、この恐れおののきのうちに、いかなる決断をするのでしょうか? わたしたちの二度目のガリラヤにおいて、わたしたちは、いかなる決断をするのでしょうか?

この二度目のガリラヤにおいて、「はい、主よ、わたしをお遣わしください」という決断をする者たちには、次のような結論が、待っております。すなわち、マルコ自身が書いたのではないが、マルコの精神の要約として最も適切なるものとして、マルコではない誰かが福音書の末尾に付けた、あのもうひとつの「結び」であります。「その後、イエス御自身も、東から西まで、彼ら(すなわち「宣教する実存」としての彼ら)を通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン」

実に主イエスキリストは、「宣教する実存」として生きる決断をした者たちの中で、その者たちを通して、その者たちの内に、その者たちと共に、生きて、働きたもうのであります。「宣教する実存」として生きる者たちを通して、主イエスご自身が、宣教のみわざを行いたもうのです。

その時、世界の中心は、もやは、エルサレムには、ありません。世界の中心は、アンテオケにも、ありません。世界の中心は、ローマにも、ありません。世界の中心は、「宣教する実存」として生きる者たちのうちに生きたもう、主イエスキリストご自身に、あるのです。

わたしたちの二度目のガリラヤにおいて、主イエスキリストは、わたしたちを待っておられます。主イエスキリストは、わたしたちをお呼びになります。当然のことながら、わたしたちは、マルコと共に恐れおののくのです。わたしたちは、どのような決断をするのでしょうか? 祈りましょう。


祈り

わたしたちの主イエスキリストの父なる神。あなたは、宣教という愚かさを通して、人間を救うこととされました。実に、神の愚かさは、人間の知恵に優っております。
主イエスキリスト。あなたは「宣教する実存」として、生きられました。「宣教する実存」として、死なれました。「宣教する実存」として、復活なさいました。そのあなたが、わたしたちをお召しになります。「あなたも、宣教する実存として、生きなさい」と、わたしたちをお召しになります。
わたしたちは今日、わたしたちの二度目のガリラヤに戻って来ております。わたしたちの召命の原点に、帰って来ております。今日、あなたの召しに対するわたしたちの決断を、恐れおののきのうちに、なすことができますように。「宣教する実存」として生きる者に、何が待っているのか。わたしたちはみな、それぞれが、つぶさに経験してまいりました。それゆえに、わたしたちは恐れおののきます。
この恐れおののきのうちに、どうかわたしたちが、「はい」と応答することができますように。「主よ、ここにわたしがおります。わたしをお遣わしください」という祈りをすることができますように。
そのように決断した結果、主イエスご自身が、東から西まで、わたしたち、すなわち「宣教する実存」として生きるわたしたちを通して、主ご自身が、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広めたもうということを、身をもって経験させてください。
主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

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