Quantcast
Channel: Major Mak's Diary
Viewing all articles
Browse latest Browse all 124

$
0
0

木を切り倒すと不幸になる、なんて、土地の古老がよく言うじゃありませんか。あれって、ぼく、ほんとうなのかもしれないなあ、って、思うんですよ。え? 迷信深いって? そうなのかなあ。ほら、古木を切って、怪我したとか、病気になったとか、仕事が急につまづいたとか。いや、ね、別に、統計なんか取ったわけじゃないですよ。木を切ったひとみんなに、そんな、なにか、説明不能な災いが、いつも必ず起きるって、統計論的に明らかだとか、そういうことを言ってるんじゃないんですよ。

それはねえ、ぼくのおじいちゃんが、むかーし、不思議な話をしてくれたからなのかもしれない。きっとそのせいなんだなあ。今もって、木を切るのに反対なのは。

実家の庭には、木が何本か生えていましてねえ。柿の木とか、松の木とか、椿の木ね。金木犀とか、ツツジもあったのかなあ。とにかくなんだか、いろいろ、鬱蒼と生えていたんですよ。兄弟従弟みんなでグルになって、ジャングル探検隊ごっこが出来るぐらいだったからねえ。ええ、もちろん、夏なんか、藪蚊がすごかったですけどねえ。

でね、おじいちゃんは、絶対に、木を切らせようとしなかったの。うん。うちのおやじなんか、気が短いほうだからね。なんでもすぐ、切る切るって言うんだ。あるときなんか、のこぎりで、おやじが勝手に梅の枝を一本落としちゃったもんだから。怒ったなあ。おじいちゃん。しばらくは、おやじと口、きかなかったもん。

でねえ。ある日、ぼくが六歳ぐらいの頃だったのかなあ。おじいちゃんに聞いたんだ。「ねえ、なんでおじいちゃんは、木を切ると怒るの?」ってねえ。

そうしたらね。不思議な話を聞かせてくれたんだなあ、おじいちゃんが。隠居の三畳の間の小さなこたつに、一緒にあったまりながらねえ。おじいちゃんの好きな黒飴だの落雁だの砂糖せんべいだの食べさせてもらいながらね、聞いたんだ。その不思議な話を。もうだいぶ、記憶から薄れ始めてはいるんですけどね。


そらそら、落雁の粉が落っこちてるじゃないか。もっと、ぐっと、こたつに寄りなさい。ぐっと。そうそう、それで、こたつの布団を下に引っ張りおろして。そうそう、それでいい。こぼすと、おじいちゃん、また、おばあちゃんに怒られちゃうからね。

どこから話をしたらいいかな。おじいちゃんが、木を切らないのはね、わけがあるんだよ。

あれは、日中戦争がひどくなり始めた頃のことだったなあ。わからないだろうねえ。戦争だなんて言ったって。小学校に上がって、だいぶお兄ちゃんになったら、少しは勉強するようになるかな、戦争のことを。

戦争っていうのは、人と人が殺し合うことだよ。悲しいことだねえ。その頃、日本はおとなりの中国にまで出かけていって、鉄砲を撃ったり、大砲を撃ったりして、戦争をしていたんだよ。おじいちゃんは、兵隊さんではなかったんだけど、お仕事で北京に行っていたんだ。北京っていうのは、中国で一番大きな町だよ。冬はとっても寒いところだったねえ。

あの頃は、男はだれでもみんな、兵隊さんにならなきゃいけなかったんだけど、おじいちゃんは、若い頃から痔がひどかったんだよ。痔っていうのは、おしりが痛くなって、座っていられない病気だね。で、男はだれでもみんな、徴兵検査というのを受けさせられたんだ。ちゃんとへこたれずに兵隊さんをやれるかどうか、テストされたんだね。おじいちゃんも、テストを受けたんだけど、それがねえ。騎兵隊のテストだったんだ。騎兵隊っていうのはねえ、お馬さんに乗って戦争する兵隊さんのことだよ。おじいちゃんは、おしりの病気だったから、馬の上に座っていることができなかったんだよ。おしりが痛くて痛くて、とても馬になんか、乗っていられなかったからねえ。だから、兵隊さんのテストに不合格になっちゃったの。それで、おじいちゃんは、とうとう戦争に行かずに済んでしまったんだねえ。

兵隊さんになれなかったから、おじいちゃんは、碍子っていう石を売っている会社で、サラリーマンをしていたの。碍子って、ほら、電信柱の上の方に、白い石がくっついているでしょう。あれが、がいし、だよ。電気がびりびりっ、と流れて、人が感電してしまわないように、電気を止めてくれる大切な石が、碍子なんだね。

おじいちゃんは、その碍子の会社の出張で、中国の北京まで行って、お仕事をしていたんだよ。中国人のお友達もたくさんできたよ。だけれども、だんだん戦争がひどくなってきて、おじいちゃんは中国を引き上げて、東京に戻ってきたの。とっても寒い冬の日のことだったなあ。おじいちゃんが東京に戻って来たのは。そのときに、とっても不思議なことが、起きたんだよ。


省電の駅を降りると、商店街を抜け、狭い路地の近道を通り、しばらくして、家がまばらな、立ち木のある、畑などもまだ残っている住宅地に出た。この辺は近頃、東京のホワイトカラーがどしどし越して来て、昨日まで畑だったところに、今日はもう、小さな和洋折衷の、つつましい家が建っているほどに、急に開けて来ている土地だ。

楠木などは、落ち葉がたいへんだし、日陰になっては洗濯物が乾かなくて、しょうもないから、新築前にすっかり切り倒してしまう家が多い。たばこ屋の角に、まだだいぶ大きな木が、このあいだまで立っていたのに、ひさしぶりに帰ってきてみると、あとかたもなくなっている。

そんなことは別に、なんとも思わない。国がどんどん改造されつつある御時世だから、切らねばならいものは、なんでも、どんどん切ってしまうより、仕方がない。ちょっと待て、なんて、言ってられない。そんなことをしていたら、「バスに乗り遅れてしまう」というんだから。まったくどうしようもないことだ。なんと思ったって、どうしようもない。だれがどう言おうったって、どうしようもない。

そんなことを考えながら、ふと、道の先の方に目をやると、まことに不思議な光景が映ったのだ。一瞬わが目を疑った。数間先の道路端の立ち木の根元あたりに、背の丈五センチメートルほどの「ひとのかたちをしたもの」が、なにやら一生懸命、荷物を運んで、難儀している様子ではないか。その場に立ち尽くし、息を呑んで見つめていると、おやおや、とうとう重荷に耐えかねて、地べたにへたり込んでしまった。なんだか途端に気の毒に思えて、急いでそばに近づき、手を差し伸べて、「小さな人」を今にも押しつぶしそうな荷物を、つまみ上げてやろうとした。その途端、目の前が暗くなり、意識が深いトンネルに、奈落の底に、すいーっと、吸いこまれて行って、それきり何も、わからなくなった。


「宙覧台の天使が言っていたように、時間きっかりにやってきましたね。一分と違いがない」

「北京からやって来たこの男が、今日の午後、自分の家の庭の楠木が気に入らなくて、庭師を呼んで、切り倒してしまうのだ」

「切り倒してしまう動機については、すでに報告を受けている通りです。この時代の重苦しい閉塞感のためが八割、仕事の重荷が一割、家族と上手く行かないことが残りの一割です」

「楠木を切り倒したら、大変なことになりますね」

「それが、今日の午後、起こるのです」

「きっかり、そうです。そうなるはずになっています。しかし、それを阻止するために、こんな乱暴な方法しか、なかったのでしょうか?」

「宙覧台の天使は、いろいろ試みたようだが、どれも失敗してしまったのだ。不確定性原理を一時的に変更して、こちらの都合に確定させてしまうための多重連立重力方程式が、ちっとも上手く計算できなかったのだ。わたしもかつて、何度か試みたことがあるのだが、あれは、手に負えぬ代物だ」

「そうしますと、この目の前に横たわっている男を、どうします?」

「眠っているままに、語りかけるのだ。その、心の耳に、透き通った、暗く、深い、青色の声で、語りかけるのだ、われわれの『木』の秘密を」

「その準備は、万端整っています。昨日からもう百遍は練習済みですから」

「じゃあ、諸君、さっそく取り掛かろう」


御仁。よく聞かれよ。深き眠りの、そのままに、心の耳で、聞かれよ。

その昔、造物主は、そなたらの宇宙の前に、もうひとつの宇宙を、お造りになられた。その古き宇宙は、星々の住人の「悲しみ」のために、押しつぶされて、滅びてしまった。地は形なく、空しくなり、混沌となり、深き闇が淵のおもてを覆うに至った。

そこで、造物主は、新しき宇宙を、お造りになられた。だが、二度の轍を踏まぬために、主は策を講じられた。造物主はまず光を造り、地を造り、そうした上で、「木」をお造りになられたのだ。

この「木」が、新しき宇宙の、無数の星々の住人の「悲しみ」を、すべて残らず吸い取るようにさせて、もはやふたたび、宇宙が滅びることがないようにと、お定めになられたのだ。

造物主は、どういうわけだか、そなたら人間に、自由意志をお授けになられた。人間が、自由な意志を持たないならば、永遠不変に、単一の意志を持って、機械的に、隷属的に、絶対的に、神の御意志に沿うて歩んだであろうものを。しかし、造物主は、われら天使の理解をはるかに超えた御経綸をもって、事を定められたのだ。すなわち、自由な意志からのみ、真実の愛が発露するのであり、そのような愛のみが、造物主のお心に、唯一適うものなのだ。

さすれば、たとえ、そなたら人間が、自由意志を誤って用い、神に反逆し、地上に幾多の痛みと悲しみをもたらす事態が生起しようとも、なおそれらを越えて、造物主は、真実の愛の発露を、忍耐深く待つこととされたのだ。

そのためには、重き悲しみに耐えかねて、宇宙が押しつぶされぬよう、手立てが要ったのだ。そうして、それがためにこそ、「木」が、必要であったのだ。

御仁よ、そなたは知らぬまいが、この宇宙のすべての木は、その葉の一枚一枚が、われら無数の天使の化身であるのだ。われら天使は、緑深き葉に姿をやつして、じっと「風」に身をまかせ、待つのだ。風を、待つのだ。風は、地の四方のあちらから、こちらから、そなたら人間の、痛みと、悲しみと、怒りと、嘆きとを、運んでやって来る。重い重い風となって、やって来る。葉となりし、われら天使は、その痛みと、悲しみと、怒りのすべてを、この身に、溢れるまでに吸い取って、ついには病み、衰え、枯れて、枯れ果て、落葉するのだ。

そのままであるならば、われら天使は、すべて、死なねばならぬであろう。滅びねばならぬであろう。だが、造物主は、もうひとつの手立てをも、お備えになられた。

葉となりし、われら天使が吸い取った、すべての痛みと悲しみは、枝を通して集められ、幹を運ばれ、地に集められ、小人たちの手で、瓶に詰められて、「時間の穴」へと送り出される。あらゆる時代の、あらゆる場所の、あらゆる人の、あらゆる悲しみを詰めた、無数の瓶が、重い重い瓶が、無数の時間の穴を通って、運ばれて行く。運ばれて行く。ただひとつの場所に、運ばれて行く。

御仁。そなたも、その場所の名を、一度ならず耳にしたことがあろう。「されこうべ」と呼ばれる、その「悲しみの集まる場所」を。

宇宙のすべての悲しみ、そなたら人間のすべての悲しみは、空いっぱいに枝と葉を広げた「木」によって、集められ、瓶詰めされて、「されこうべ」へと、送られるのだ。その「されこうべ」で、造物主は、十字架にかかりたもうた。造物主おんみずからが、十字架にかかりたもうた。そうして、宇宙から絶えず集められる、すべての痛みと悲しみとを、十字架の上で、残らず吸い取ってくださった。時を越えた「されこうべ」で、造物主は、今も、十字架の上におられ、そなたら人間の悲しみを、吸い取り続けておられる。造物主は、吸い取り続けておられる。そなたらの悲しみが、果てしのない、無限の悲しみであろうとも、造物主は、それを残らず吸い取ってしまうことが、おできになる。なぜなら、造物主は、無限のお方であられるから。

御仁。それで、わかったであろう。そなたが今日の午後、切ることになっていた「木」は、切ってはならぬのだ。葉となりし、われら天使は、すでに隣りの国で、殺された多くの者たちの痛みと悲しみを吸い取って、枯れ果て、「されこうべ」へと、送り出した。しかし、悲しみはそれで、終わることはない。そなたの住む東京、そなたの住む町の界隈は、もう何年かすれば、空から降り注ぐ滅びの炎で灰燼と帰すであろう。そなたの隣人、そなたの同胞の多くが殺され、痛みと悲しみとが、この地に満ちるであろう。そうして、そなたの切り倒そうとしている「木」が、その時来たりなば、すべてを吸い取って、「されこうべ」の十字架へと、送り出さねばならぬのだ。これは、何者によっても妨げられてはならぬ、大切なわれら天使の使命なのだ。それが出来ぬとあらば、そなたの住む宇宙は、悲しみの重荷に押しつぶされて、次の瞬間にも、滅び去り、混沌に帰すであろう。

それゆえに、切ってはならぬ。


そりゃあね、おじいちゃんが、本当にそんな不思議なことを体験したのかどうか、ぼくにはわからない。だけれども、もしそうだったら、どんなにか、いいだろうと思うんですよ。なんだかこうね、救われる気がするんだ。ああやって、木が空いっぱいに、伸びている。広がっている。枝を広げている。その枝のひとつひとつが、その葉の一枚一枚が、この町の人たちみんなの、悲しみだの、怒りだの、憤りだの、痛みだのの、すべてを残らず吸い取っていてくれるのだとしたら。

だからねえ、ぼくは、どんな木でも、切る気がしないんですよ。

(初出:「詩の小箱」

Viewing all articles
Browse latest Browse all 124

Trending Articles