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米国最新報道

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米福音派月刊誌『クリスチャニティトゥデイ』2012年9月号、第56巻、第8号、36ページ以下に掲載されたダビデ張再臨キリスト疑惑に関する詳細な調査報道を全訳しました。

なお、クリスチャニティトゥデイは米福音派重鎮ビリー・グラハムの創設になる老舗雑誌です。後発のダビデ張在亨の「クリスチャントゥデイ」が紛らわしい名称であるため、よく混同されますが、全く別物ですので、ご注意ください。

以下翻訳してご紹介します。

<以下翻訳転載>

再臨キリスト論争

ダビデ張はアジアそして今や米国の福音派の中で影響力を強めている人物だ。張と弟子たちは各種のメディアとキリスト教大学を設立し、世界福音同盟に大きな影響を及ぼしている。一方、張が指導する団体において張を「再臨キリスト」と信じるよう勧めている、とする声が多い。この告発に信憑性はあるのだろうか?

購入者が現れたという良い知らせ

グロリエタ・カンファレンス・センターは南部バプテスト同盟のライフウェイ出版社が所有する全米最大規模の有名な研修施設で、ニューメキシコ州サンタフェ近郊に2100エーカーの敷地を持つ。しかし、過去25年のうち24年は赤字が続いていた。

「グロリエタでこれまでも今も行っているようなことに、もう需要が無いのです」とライフウェイ社の広報担当者マーチン・キングは言う。このため昨年9月、ライフウェイ社の取締役会は施設売却を検討する決定をした。当初ニューメキシコ州バプテスト同盟に1ドルの名目価格で売却する計画だった。しかし同州バプテスト同盟は、施設改修や環境保護義務に要する費用を考慮した結果、施設の取得に後ろ向きとなった。

そこに登場したのがサンフランシスコに拠点を置くオリヴェット大学だった。(イリノイ州にあるオリヴェット・ナザレン大学とは無関係) オリヴェット大学は韓国人牧師ダビデ張によって1992年に設立され、関連の宣教団体やIT企業を有しており、それによりグロリエタの購入に十分な資金を得る見込みがあると報告された。

ライフウェイ社にとって悪い知らせは、張が論争の渦中にある人物で、信頼し得る情報源によれば、張を「再臨キリスト」と崇めて来た弟子たちがいる、ということだった。

過去五年間、張に関連する宣教団体と企業は米国と世界の福音派で影響力を獲得して来た。世界福音同盟もそのひとつだ。しかし同時期、韓国と中国の主流派教会の多くの団体が、張に関する告発を調査した結果、その信憑性を認めて、張の関連団体との交流を停止している。一方、独自調査を行って張の嫌疑を解除し、張との関係をさらに強めた団体もある。現在、張の企業と宣教団体は米国で認知度を大きく拡大しており、張の関連団体とその神学について、教界指導者から同様の疑問が寄せられている。

「再臨キリスト」

張の初期の経歴の詳細には疑問がある。今回の記事に際して張への連絡を何度も試みたが、できなかった。

韓国・日本・中国の批判者側は、張が文鮮明の統一協会にいたと言う。その指摘によると、文鮮明の成和神学校の1989年度学生要覧に張が神学助教授として組織神学と統一神学を教えていたとの記載がある。また、2002年刊行の鮮文大学史に同校設立の資金に貢献した張への賛辞が記載されているとの指摘もある。

一方、張の擁護者側は、批判者側が証拠を捏造していると言い、張は単に反共クラブに加入していただけで、その中に統一教会員が混じっていただけだとする。

韓国のキリスト教サイト「ニュースエンジョイ」は、同サイトが出した記事に張が反論するということがあった後、統一協会前歴について張に四回取材したという。そのインタビューの中で張は、鮮文大学史の記述が不正確だとしたが、鮮文大学に1995年まで勤務していた事実は認めた。(張が正式に辞職したのは1998年である) 同サイトの記事は「張は鮮文大学にいた理由を、統一協会員に正統神学を教えるためだと説明した」「加えて張は、多くの惑わされた人たちを真理の道に導いたとも言った」と伝えた。

批判者側も擁護者側も共に、張が正統教会と多年つながりを持って来たことを認めている。張が韓国基督教総連合会に提出した履歴書によれば、張は1990年に韓神大学から神学修士号を、1992年に壇国大学から文学博士号を取得している。同年、張は大韓イエス教長老会から牧師按手礼を受け、1993年まで漢東中会の議長を務めた。

しかし、張の関連団体にいた複数人物の情報によると、張の伝道者としての働きの初期における重要な出来事は、履歴書にも他の文書にも書かれていないという。その情報源によれば、初期の弟子ボラ・リンが1992年前後に張に対して、張を「再臨キリスト」―イエス・キリスト自身ではないがイエスの地上の使命を完成する新しいメシア的人物として―信じていると告げた、とされる。複数の元メンバーによれば、ボラ・リンは張の側近グループの中で霊的に重要な人物となった。

聖書講義の資料によれば、張と弟子たちは1992年10月、張の43歳の誕生日を自分たちの運動の正確な開始時としている。さらに、アポストロス・キャンパス・ミニストリーやオリヴェット大学を含む関連団体も、1992年を設立年としている。

それ以降多忙な時が続く。張は弟子を獲得し、宣教師として任命し、アジア各国の大学での活動に派遣した。最初の宣教師が1996年に中国に入り、イエス青年会の中核を作った。クリスチャンポストとクリスチャントゥデイは2000年に設立されたとされる。(最近クリスチャンポストはウェブサイト記載の設立年を2004年に変えた) ゴスペルヘラルドと福音長老教会総会(EAPC)の在米団体が2004年に開始され、財経新聞が2006年に立ち上げられた。2002年までに張は中国・日本・韓国の主要都市で信者を獲得し、さらに米国に活動を広げた。

オリヴェット大学学長のウイリアム・ワグナーは福音宣教協会のために2008年に書かれた文書の中で、こう述べている。「オリヴェット大学の活動で創出された宣教団体は、米国のキリスト教ウェブサイト・ランキングの上位10位のうち第一位を含めて四つを占めている・・・。オリヴェット大学新聞学部が作ったウェブサイトは市場的に成功し、関連の宣教団体は40以上の言語で世界に展開している・・・。ほとんどの場合、それらのウェブサイトはその国のランキングの上位にある」 上記の企業と宣教団体に加えてウイリアム・ワグナーが挙げたのはクロスマップ、ベレコム、IBスポット、デオグラフィックス、ジュビリー・ミッション、ブリーズ・キャスト、グッドニュース・ライン、バイブル・ポータル、世界福音主義神学研究機関連合などが、オリヴェット大学の「関連宣教団体」となっている。

2008年5月の本誌のインタビューの中でウイリアム・ワグナーは、張が大学生らと協働して上位校、特にカリフォルニア大学系列校に狙いを定め、学生を転校させてオリヴェット大学に学生団体を作ろうとしていたことを話した。ワグナーは、アポストロス・キャンパス・ミニストリー(現在はアポストロス・ミッションに改称)に当時120か国の3万人以上の学生がいると語った。この数字には中国のイエス青年会として知られるもうひとつの学生団体の1万人は含まれていない。

これらの大学宣教団体は、聖書研究に関心がありそうな学生に近づき、40講からなる「歴史講義」を一対一で受けるように勧める。(ワグナーはそれが弟子訓練と指導者訓練の集中講義だとしている) 元メンバーは、この講義は張自身が作ったものとみんな認識していた、と話す。

この講義を学んだことのある米国の元メンバーは約十年前にこう言われたという。「この講義はとても素晴らしいので、だれでも授けるというわけにはいかない。たとえクリスチャンであってもだ」 この講義は、この共同体の上級メンバーによってのみ授けられ、重要な最終講義はボラ・リン自身が授けることもあった、と元メンバーは言う。

この運動を束ねるものは何か、という質問に対して「ひとつは神だ」「もうひとつは霊的指導者だ。彼がすべてをひとつに結んでいる。彼はオリヴェットについてのヴィジョンを持っている」とオリヴェット大学学長ウイリアム・ワグナーは答えた。

この講義の本当の目的については、議論の渦中にある。張の関連団体の数名の元メンバーは、この講義が新しいメンバーが張を「再臨キリスト」と告白するよう仕向けるために作られているが、そうした目的を講師がおおっぴらに語るわけではない、と言う。

この運動の中国の元メンバーは「人々をそのように告白させるため、明らかにほのめかすヒントがたくさんあった」「ある兄弟は『君が馬鹿でなければ、論理を駆使してヒントでほのめかせ』と言った」「しかし、だれも説教の中で『張牧師が再臨のキリストだ』と言う者はなかった。通常、たとえ一対一でも、それへの言及は避けられた。それは最高機密のように扱われた」と言う。

元メンバーの馬俐は中国で2002年にこの講義を受け始めたが、講義を終えたとき講師は彼女ともう一人の新しいメンバーを見つめながら、「わかりましたか? 全部?」と尋ねたという。

馬俐は言う。「わたしは確信をもって『はい』と答えました」「すると、講師はわたしだけ別にこう尋ねました。『ダビデ牧師はだれ?』 わたしは考えることなく今教わったとおり答えました。『再臨のキリストです!』 すると講師は『しーっ』と声をひそめて『だれにも言ってはだめ』と言いました」

この運動の米国支部の元メンバーは同様の経験をしたと述べている。

(講師が)わたしに尋ねました。「あなたはダビデ牧師をだれと思う?」 わたしはショックを受け、どう答えていいかわかりませんでした。その時、わたしは涙を流しました。なぜなら、自分が教わったことが信じられなかったからです。とてもショックでした。しかし、ある思いがわたしの心をよぎりました。わたしはききました。「彼は再臨キリストなの?」 わたしは彼らがどう答えるか試したかったのです。しかし(講師の)答えは、さらに驚くべきものでした。「あなたが今告白しましたよ」 それでわたしはしばらくの間、ふりをすることにしました。でも、講師はわたしが告白したとほかの指導者たちに言って回りました。

中心的な確信か?

本誌がインタビューした元メンバーは全員、この運動の中に張を再臨キリストと信じる者がいることを認めている。しかし、それがこの団体の宗教的自己同一性の中心をどれぐらい占めるかについては異論が見られた

米国の元メンバーのひとりは言う。「張が再臨キリストだとか終末における重要人物だとおおっぴらに教えられたことはありません。そう言われたとしたら、そう信じた人がそう言っているだけです。(しかし)終末論についての教え方は、そういう結論に容易に至らせるものです」

事実、同じ元メンバーは、ダビデ張を再臨キリストと信じたことは一度もなかったにもかかわらず、張を「終末における重要人物」かもしれないと思った時期があったという。彼はそう信じた。彼は言う。「そう教えられたからというわけでなく、そう信じた時期があったということです。わたしの心の中に、そういう可能性があるかもしれないと促すものがあったのです。いまは、もう何年かたっていますが、それが本当とは思っていません。(張は)ほかの教界指導者や牧師と比べて多くの面で抜きんでていることは認めますが、わたしが見るところ、彼の欠点は見過ごせないほど重大だと思います」

中国から米国に来たもうひとりの元メンバーは、十年近くこの団体にいたが、張が再臨キリストと直接教えられたことはなかったと言う。2003年までさかのぼり、張がキリストであることを張自身が強く否定するのを聞く機会が何度かあり、その時「『張がキリストだ』と言う者はきちがいだ」と言っていたという。

オリヴェット大学と関連団体の代表者が本誌に送付した文書によれば、張は以下の否定声明を2008年に出したという。

本誌の情報源についての註

本誌は今回の報道の透明性と検証可能性を保証するため、匿名の情報源の利用は最終手段とし、情報源が知られることが危険と判断される場合に限って匿名とした。今回の報道にあたり、本紙に自分の体験を語った情報提供者が報復に遭う可能性があるとの証拠を得ている。情報源は米国と中国からであるが、彼らはいずれもダビデ張の組織・宣教団体・企業のメンバーだったことがあり、上級の地位にいた者もいる。彼らが個別に提供した内容は、いずれも類似しており、この運動の終末論・歴史・組織構成・手法・人員についての説明を相互に確証し合っている。内容に相違がある場合は、その点を今回の記事の中で言及した。匿名の情報提供者の大半は、自分の体験を話すのが今回初めてであり、アジアで行われた初期の調査において証言した者はいない。

イエス・キリストの恵みを賛美します。イエス・キリストの恵みによって、わたしはイエスをわたしの唯一の救い主として受け入れました。そして、わたしの罪が赦されて以来、わたしはイエス・キリストにある信仰を一度も捨てたことはありません。また、わたしはイエス・キリストの福音以外に、ほかの福音を説教したことは一度もありません。ましてや、自分がキリストだと教えたことは一度もありません。わたしは、イエス・キリストによる以外に救いを受け、自由を得る道はないことを、明白に告白します。

ニューヨークのインマヌエル教会(米国のEAPCの旗艦的な教会)の牧師クリス・リーは同様に、張が再臨キリストだと主張したことは一度もないとする全面否定の声明を出している。

しかし元メンバー数名が本誌に語ったところによれば、張を再臨キリストとする信仰告白に張自身が無関係だとは信じがたいと言う。2002年か2003年前後の数年は、この信仰告白をした者はそれを手紙に書いて張に送るのが伝統だったと、ひとりは言う。

中国の元指導者のひとりは、最上級の信頼された指導者だけが終末論を講義することが許されていたと言う。しかし、張自身はその講義を教えたことが一度もないと否定している。

「熾烈な議論の間、ダビデ張牧師は立ち上がって、自分が『再臨キリスト』だと教えたことは一度もない、と言いました。問題は、張がそれを教えたか否かを学生たちが知るすべはなかったことです。しかし、この共同体の中では、それは真理でした。この教えは長く説かれて来たものです。この団体に加入する条件とすらなっていました」

上海の元メンバーは、張が十年近く前の説教の中で、張とイエスの関係はバプテスマのヨハネとエリヤの関係と同様だとし、張がイエスの未完の使命を完成すると教えることによって、この教えを間接的に勧めたと言う。

しかし、本紙に語った元メンバーの中で、張が再臨キリストだと本人から聞いた者はひとりもなかった。また、 張の団体の元メンバーと思われる人物が書いた20以上のインターネット上の内容(本紙は信頼性が検証できないと判断して今回の記事に採用しなかった)にも、張自身がその主張をしたとの告発は見られなかった。

「歴史講義」

この団体が講義を秘密にしようと努力して来たにもかかわらず、訓練期間中のメンバーが受けた2セットの講義内容が部分的に公表されている。

東京の救世軍士官の山谷真は2006年以来ブログで張と関連団体を追及する記事を書いている。山谷が本誌に語ったところによれば、彼はKの両親から息子が失踪したことについて相談を受けた。両親は息子が張のEAPCと関連企業で働くのを辞めるよう説得して来たが、息子は両親が用意したアパートを数か月分の未納家賃を残したまま捨てた。息子はまた、EAPCの文書と「聖書講義ノート」のいくらかをあとに残した。

「講師はわたしだけ別にこう尋ねました。『ダビデ牧師はだれ?』 わたしは考えることなく今教わったとおり答えました。『再臨のキリストです!』 すると講師は『しーっ』と声をひそめて『だれにも言ってはだめ』と言いました」 馬俐

オリヴェット大学が本誌に提供した文書によれば、Kはノートを彼のものと認めているようである。しかし「講義を聴いている間、わたしは異端対策上の注意書きを一般的教えと比較するために書き込むようにしていました。異端的教理の誤りと矛盾を学ぶにはそれがとても良い機会だったからです」とKは言っている。

その一方、馬俐は中国で受けた講義のノートを手元に持っており、この運動への批判者側にすべてを提供した。

これら別個の2セットのノートは内容が詳細に附合しており、米国と中国の元メンバー数名も、このノートに含まれた教えをこの運動のメンバーの多くが実際に受けたと、それぞれ証言している。しかし、ひとりの元メンバーは、日本語のノートの内容にだけ聞いたおぼえがあるようであり、「メンバーの大半が信じている内容を正確に反映しているものではない」と言う。それは、この共同体の一端を表すものに過ぎない、と言う。

この講義の基本的内容は、ノートの記述と元メンバーの描写のどちらにおいても、未完で残されたイエスの使命を完成するために別の「キリスト」が必要であるという文鮮明の教えに類似している。ダニエル書第12章には、よく知られた曖昧な預言、1260日(ひと時と、ひと時と半時)と1290日と、さらに1335日が出て来る。ノートによれば、1260日はイエスの降誕によって成就され、1290日はイエスが30歳で福音宣教を開始した時に満たされた(1260+30=1290)。イエスの三年間の公生涯により、預言の1290日が1293日に進んだとする。しかし、十字架によってイエスの使命は断たれ、イエスは1335日の預言を成就することができなかった。こうして、まだ42日が残されていることになり、それは象徴的に42年間を表している。複数の情報源によれば、残されたこの42年間を満たすのが張であると信じられている。

この講義はまた、「三つのイスラエル」という教理を教えている。第一のイスラエルは民族としてのイスラエルであり、第二のイスラエルはクリスチャンによって構成され、第三のイスラエルをなすのが張の創始したこの運動である。黙示録第7章の144,000人は「第三のイスラエル」を指すとされ、彼らを贖う小羊は「イエスではなく再臨のキリスト」だとされる。

張の弟子たちが「第三のイスラエル」だという考え方は、イエスが教えた「たとえの福音」と、張が説く「永遠の福音」とを区別することと密接なつながりがある。講義のひとつはこう教える。「イエスは、たとえの福音をわたしたちに語った。しかし、新しい時代においては、福音はより明瞭に説明される。それが永遠の福音である」 この「永遠の福音」は再臨キリストによって宣べ伝えられる。

米国の元メンバーは、ボラ・リンも類似した教えで講義をしめくくった、と言う。その中で、「神の国はキリストのからだでしょう? そうであるなら、だれかがこのからだを作ろうとして、それを始めたなら、それを再臨のキリストと呼んでもよいのではないですか? そして、それをする人を再臨のキリストと言っても間違いではないでしょう?」と教えられた。

論争とその帰結

張の教えと、張の企業・宣教団体・メディアを通じた影響力が人々に知られるにつれて、批判が急速にわき起こって来た。日本語と中国語のインターネット掲示板の投稿は、イエス青年会が張を再臨キリストと教え、メンバーを家族から切り離し、多額の献金を要求し、嘘をつくことを奨励し、過酷な労働に従事させ、厳格な秘密主義を取っている、と警告した。同様の報告が英語のウェブサイトにも現れた。

これらの報告がきっかけとなって、アジアでいくつもの調査が別個に実施された。2008年に香港で独立調査委員会が正式に設置され、中国の福音派の神学者が調査員に選抜され、この団体について「全会一致で深刻な危惧と懸念を表明する」に至った。独立調査委員会は、イエス青年会が「(1)イエスの最初の地上への来臨は失敗であった(2)彼らの牧師が『再臨主』あるいは『再臨キリスト』であるといった統一教会と同様の教義を布教した」という「強い可能性を排除できない」とした。この調査結果はアジアの有名な神学者と教界指導者を含む13人によって署名され、その中には、中国神学研究院の余達心や、国際OMFの海外基督使團理事の麥裕沛がいる。

(オリヴェット大学とクリスチャンポストの代表者が本誌に送付した回答文は、香港の調査報告書を「根も葉もない言いがかりの繰り返し」を含んだものとして拒否し、証人や講義ノートがイエス青年会からのものであるとの証拠はない、とした。一方、余達心と麥裕沛は、調査報告書の発表以降も張の運動は成長を続けている、と本誌に語った)

香港での調査報告書の発表に続いて、北京最大の教会のひとつである北京基督教海淀堂が声明を発表し、イエス青年会との関係を断絶し、教会の指導的職位からイエス青年会メンバーを排除し、イエス青年会メンバーの教会加入や受洗を禁止した。同様に、韓国二大教派(いずれも長老教会)のひとつである大韓イエス教長老会統合が合同調査に着手し、2009年9月に大韓イエス教長老会統合と大韓イエス教長老会合神が、張の関連団体との関係を断つことを決議した。

世界福音同盟の加盟組織である韓国基督教総連合会(CCK)は、しかし、異なった結論に達した。

実名の公表を辞退したCCK代表者のひとりは、CCKが2004年以来、張について四回の「研究」を個別に行い、そのいずれも張の疑惑を解除したとし、「どの研究も、彼の無実、無罪という結論に至った」と述べた。

CCK異端調査委員会委員の崔三更は、張の正統性を結論づけるこれら調査結果の特徴的な内容に異議を唱えている。2008年に崔はほかの二人の委員と共に調査委員会の声明文を明確化し、それは「ダビデ張が1997年以降において統一協会とかかわった形跡が見られないとするものだった」と述べた。

三人の調査委員はこう書いている。「第一、ダビデ張在亨氏は1997年以前に統一協会に加わっていた」「第二、ダビデ張在亨氏が異端説を奉じていないという意味ではない。よって、ダビデ張在亨氏が調査委員会の決定を濫用し、おのれに異端嫌疑が無い証拠とするのは、全く不当である」

本誌とのインタビューの中で崔三更は、2010年12月にCCK異端委員会が「張牧師と再臨キリストに関わる嫌疑について証拠がなく、事実ではない。張牧師は異端的性質の事柄に少しも関与していない」との声明を出したことを認めている。オリヴェット大学から本誌に送付されたこの文書は、CCK理事会が調査結果を了承したことを示す手紙が含まれていた。しかし、崔三更は「総会執行委員会はこの調査報告書を拒否した」と述べている。

CCKの調査報告書とその後に起きた紛争(ある部分は張に関しており、それ以外の問題をめぐるものでもある)は、教界連合機関であるCCKを分裂させた。20以上の教団がCCKから離脱して、韓国教会連合(CCIK)を形成した。韓国教会連合は張の影響力と神学について新たな調査に着手している。

教えの中止

結果がどうであったにせよ、調査の実施と問題の公表によって、この運動に多くの変化が引き起こされた、と元メンバーは本誌に語る。大きな変化のひとつは、張を再臨キリストとほのめかす、疑惑の渦中の終末論の教えを中止するよう張が直接指示したことである。

「イエス・キリストの恵みによって、わたしはイエスをわたしの唯一の救い主として受け入れました。そして、わたしの罪が赦されて以来、わたしはイエス・キリストにある信仰を一度も捨てたことはありません。また、わたしはイエス・キリストの福音以外に、ほかの福音を説教したことは一度もありません。ましてや、自分がキリストだと教えたことは一度もありません」 ダビデ張

「かつては、この団体の献身的なメンバーのほぼ全員が、ダビデ張は『再臨キリスト』だということに同意し、そうすることでメンバーに受け入れられ、重要な地位を任せられていました」と、中国で上級の地位にあった元メンバーは本誌に語る。「しかし今は、このような教えは止められました。わたしの知る限り、ほんとうにこの教えを止めたのだと思います。しかし、まだだれかが密かにこの教えを広め、あるいは、地下に潜ったのではないかという可能性も捨てきれません。それは、この共同体の共通の了解事項であって、核心メンバーになるには、それを知っていなければなりませんでした」

この元メンバーによれば、張は指導者として間違った教えに対して負うべき責任が張自身にある、と語ったと言う。しかし張は自分が無実であり、張を再臨キリストとほのめかす講義の責任を、数名の弟子の誤りに帰したという。ほかのメンバーによれば、張はアジアでの調査の渦中にあった時、ボラ・リンを公式の責任を負う立場から解任したという。ボラ・リンの夫のアンドリュー・リンはオリヴェット大学の理事長である。(アンドリューおよびボラ・リン夫妻は本誌からの度重なる取材の要請に応じなかったが、張を「再臨キリスト」と呼んだことは一度もないとする内容を弁護士を通して伝えて来た。ワグナーによれば、ボラ・リンもそうしたことは言ったことがない、と否定しているという)複数の元メンバーによれば、ボラ・リンはこの団体の中で強い影響力を持ち続けており、おそらく張に次ぐ第二位にあると思われる。2012年4月にオリヴェット大学の学生が送って来た電子メールの中で、ボラ・リンは「牧師」と呼ばれ、最近行われたオリヴェット大学のキャンパス計画を検討する大きな会合で話したという。

複数の元メンバーは、張の中核的な弟子の多くがおそらく今も見解を変えていないだろうと考えている。ひとりの中国の元メンバーは、ある現役メンバーが彼らの初期の教えは今も間違いではないと主張した、と言っている。アメリカの元メンバーは、この運動のメンバーの10から20パーセントが張を再臨キリストと信じていると見積もっている。しかし、アメリカの別の元メンバーは、もっと高いパーセントを示している。

「中核グループに限っても、少なくとも20パーセント以上はいるでしょう」「実際にそれを信じている人の正確なパーセントを言うのは難しいです。しかし、張をキリストと比べたり、張をキリストの使命の成就者だとする講義を彼らはみんな受けているのです」と、その元メンバーは言う。

この信仰と教えの程度は、地域によっても異なるようだ。数年間入信し、2000年の中頃に脱会したメンバーは、こう言う。「わたしが上海の共同体にいた時には、わたしたち全員が張を『再臨キリスト』と信じていました」「わたしたちはメンバーカードにサインした後、わたしたちの牧師(ダビデ張)が『再臨キリスト』だということが直接全員に言われました」

救いの手

2005年にCCKが張について第二回調査を実施した当時、CCKはまだ世界福音同盟(WEA)に加盟していなかった。(WEAが当時韓国で提携していたのは韓国福音主義協会だった)しかし、当時のWEAは、こうした提携先を見出し関係を深めることから離れて、WEA自体の財政と使命の問題の解決へと重点を移しつつあった。

世界福音同盟総主事ジョフ・タニクリフの回答

世界福音同盟最高執行役員・総主事ジョフ・タニクリフは本誌に対し、今回の記事のための質問を書面にするよう求めた。本誌がそうすると、以下の回答が寄せられた。

「われわれに対するみなさまの疑問の核心において『張の共同体』ということをしきりに言っておられます。ほかの疑問はすべて、ここの捉え方から派生したものでしょう。われわれは特にこうした思い込みを拒否します。韓国の最高裁判所は同様の主張に対して虚偽で中傷であると判決しました。韓国におけるわれわれの会員団体である韓国基督教総連合会が本件についてすでに何度も調査を実施していますので、そちらに問い合わせるようお願いいたします。韓国基督教総連合会は71教団、韓国のプロテスタントのクリスチャンの80パーセントが加盟しております」

本誌は最高裁の判決の証拠を見出すことができなかった。しかし、張を批判した『荒野の声新聞』を名誉棄損とした下級審の判決を最高裁が認定している。『荒野の声新聞』とそのほかの件は、判決が厳密な法解釈上のものであることを特徴づけている。『荒野の声新聞』はクリスチャントゥデイが張と関連があると報道した。クリスチャントゥデイはそれを否定した。裁判所は782米ドル相当額をクリスチャントゥデイに支払うよう『荒野の声新聞』に命じた。

WEAは600万人のクリスチャンの声を代弁していると自称されるが、WEAは1950年代初頭より各国の福音派の協力関係において重要な役割を果たして来た。しかし、赤字が多年続いていた。事務所の閉鎖とコスト削減によって財政的な出血を止めなければならなかった。WEAの指導者は組織の中心的目標を変える計画を立てた。提携先を作り関係を維持することよりも、「世界の福音派共同体の声」となることを目指すことにした。

WEAの理事を2002年から2005年まで務めたゲイリー・エドモンズは、この変化を支持したひとりである。しかし、自分の才能と情熱にはしっくりこなかった、と彼は言う。その数か月後、エドモンズの就任期間が満了に近づいた頃、彼にクリスチャンポストが近づいて来て、WEAの宣伝活動や政策提言の活動を支援したいと申し出て来た。エドモンズの後任者としてWEAの国際理事に就任したのは、前職のカナダ福音同盟で公共政策への提言で経歴を積んだジョフ・タニクリフであった。彼がクリスチャンポストの申し出を受け入れた。

タニクリフが2005年に就任して五か月後に、WEAは情報技術センターをサンフランシスコにある張のオリヴェット大学の構内に開設した。複数の情報源によれば、張と弟子たちが始めた団体が2007年4月にWEAへの財政支援を開始し、張はWEA北米理事会の理事として受け入れられた。その二か月後、オリヴェット大学はタニクリフを新学期開始式の講演者として招待し、彼に名誉博士号を授与した。それから続く四年の間に、クリスチャンポストの記者がWEAの報道担当者として働くようになり、オリヴェット大学の卒業生がWEAの情報担当者に就任した。デオグラフィックスの前最高執行役員はWEAのIT委員会担当者に任命された。クリスチャンポストとジュビリー・ミッションを経てオリヴェット大学を出た卒業生は、WEAの事務総長として雇用されている。WEAのウェブサイトはクリスチャンポスト、オリヴェット大学、イエス青年会、その他の張の関連団体のウェブサイトを容するホストサーバ上に移転した。それから間もなく、WEAは張の企業と事務所のスペースを共有し始めた。張の関連の20以上の団体がWEAの会員として受け入れられた(WEAの国際提携諸団体の三分の一、協力諸団体の六分の一を占める)。しかし、本紙が取材した元メンバーや張の批判者のだれも、WEA自体の悪事を申し立ててはいない。憂慮されるのは、WEAが張とその関連団体に対して緊密な協力関係を通して正統性を付与していることである。

影響力と正統性の追求

2005年にクリスチャンポストがWEAに近づく一方で、香港の新聞「ゴスペルヘラルド」の最高執行役員が王永信に近づき、名誉会長への就任を要請した。国際大使命中心の会長であり、ローザンヌ世界宣教委員会の前理事であった王は、福音宣教に対する最高執行役員の熱意と努力に動かされ、ゴスペルヘラルドの活動に名前を貸すことを承諾した。それから間もなくして、王はアジアの友人から警告を受けるようになった。調査を行った結果、王は名誉会長を辞任し、同紙のウェブサイトから彼の名前を削除するよう求めた。2008年に王はこの団体についての自分の体験を文書にし、その結論部分で「今この共同体の実態について、多くの福音派の指導者は悟ることができておらず、この共同体が本質的に人を眩惑する行動を使っていることを見て、私は大きな憂慮を持つようになった」と述べた。

王が本誌に語ったところによれば、彼はアメリカとアジアの福音派の指導者たちに張を警戒するよう働きかけたが、驚くべきことに多くがそのまま名前を貸し続け、特に南部バプテスト同盟の指導者たちが顕著であった。

「彼らは常に福音派の指導者たちを顧問や名誉会長に迎えようと努力していた」と王は言う。

オリヴェット大学からの回答文書は、王が「世界の華人教会において尊敬される指導者である」ことを認めた上で、王は「日本の(ブロガーである)山谷が捏造した資料」によって誤った認識に導かれたと主張する。この文書はまた、王がゴスペルヘラルドと袂を分かったのは、張をめぐる論争のためではなく、「中国の国家公認教会に対する異なった見解」が原因であると述べている。

王が言う通り、南部バプテスト同盟は張の関連組織の諮問会議において大きな役割を演じている。クリスチャンポストは「全米で最も広く読まれているキリスト教ウェブサイト」を自称しているが、その会長には、南部バプテスト同盟の2008年の議長選挙の候補者であり、オリヴェット大学学長であるワグナーが据えられている。南部バプテスト同盟の宗教倫理委員会のリチャード・ランドは同紙の編集役員となっている。

ランドは同紙への関与についてコメントを拒み、質問をクリスチャンポストの最高執行役員ウィル・アンダーソンとオリヴェット大学のワグナーに何度も回した。しかし、ランドはその仕事についてバプテスト通信に対し、「自分は最新の道徳的問題について毎月コラムを一本書いており、同紙の記者や編集者の要望に応じて、どのような問題をどう記事化するか助言を提供する立場にある」と述べた。テネシアン紙はランドの職位が有給であると報じた

南部バプテスト同盟の神学校校長アルバート・モーラーは、クリスチャンポストの上級編集顧問となっている。ほかに、社会活動家のマーク・クリーチ、伝道者のウィル・グラハム、牧師のジョエル・ハンター、ハリー・R・ジャクソン二世、サムエル・ロドリゲス、WEAのウイリアム・テイラーの名前が入っている。2005年にジェームズ・ドレイパーが同紙の諮問会議メンバーとなった当時、彼はライフウェイ・キリスト教出版社の社長だった。2006年にトム・レイナーがライフウェイ社の後継社長に就任すると、同様にレイナーがドレイパーに代わってクリスチャンポストの諮問会議メンバーとなった。(現在二人の名前はそこにない。南部バプテスト同盟議長のダニエル・エイキンは今年7月末に諮問会議から辞任したと述べた)

張の関連の他の団体も同じように、著名な人物や団体との関係を作って来た。これらの団体に見られるほかの類似点は、これらが共通のルーツを持つだけでなく、互いに緊密に結び合わされており、中心的な指導者の影響力のもとにあることを示している。しかし、これらの団体の間の明確なつながりは(オリヴェット大学とのつながりと、張との関係を別にすれば)外部の人間にとっては依然として霧に包まれており、時には元メンバーが言うように、内部のメンバーにとってさえ霧に包まれている。

本誌が2008年5月に行ったインタビューの中で、ワグナーと(オリヴェット大学の卒業生で、当時クリスチャンポストの編集役員だった)ケネス・チャンは、二つの団体の間に特別な関係があることを否定した。

「これらの運動はすべて独立したものだ。どれも完全に自給している」とチャンは語った。

「それは法的には正しい。しかし、オリヴェット大学は宣教団体を新たに創出することに特化している」とワグナーは答えた。「本校の学生は、多くの宣教団体と企業を創出して来た」と彼は言い、オリヴェット大学がベレコムなどの独立した企業を運営して来たことを指摘して、「われわれは世界の10の時間帯に事務所を持っている」「われわれはホンダやヒューレット・パッカードの仕事もしている。こうした事業がオリヴェット大学に資金を還流するのに貢献している」と述べた。

本誌は「この運動を結ぶものは何か?」とワグナーに尋ねた。

「ひとつは神だ」「もうひとつは霊的指導者だ。彼がすべてをひとつに結んでいる。彼はオリヴェットについてのヴィジョンを持っている」とワグナーは答えた。そして、もうひとつ、情熱を加えた。

2012年8月の本誌とのインタビューでワグナーは、オリヴェット宣教運動は張を尊敬の念をもって扱っているものの、それはほかの福音派の団体がその霊的指導者を扱うのと同じに過ぎない、と述べた。「われわれは張博士をすばらしい指導者と見ているのであり、再受肉のキリストと見ているのではない」と述べた。「わたしは張と八年間共に働いて来た。彼らが嘘をついていないことはわたしが確実に保証する。われわれのキリスト論は堅固であることをわたしが保証する」とも語った。

ワグナーは、張はオリヴェット大学の意思決定には何ら指図しないとし、その教えについての流言を否定した。「わたしが再受肉のキリストに見えるかね?」「わたしは罪人に過ぎないよ!」と張が自分に語った、とワグナーは言う。ワグナーは香港独立調査委員会の委員と会合したが、思いは変わらなかったと言う。そして今も、張の正統性に対して微塵の疑いも抱いていない、と言う。「もしそうだったら、わたしはここにいない」とも語った。そして、もし張が再受肉のキリストだと主張していたなら、「張がしたことは間違いでしたよ。彼は自分の学校を急進的な福音派の集まりに変えてしまったんだから」と語った。

その福音派のひとりであるドン・ティンダーは、アムステルダムのティンダル神学校の学部長で、本誌の前協力編集者だった。彼は現在オリヴェット大学神学部長に就任している。「張と何年も協力して来たが、わたしの目には異端と思われる片鱗すら見えなかった」と彼は言う。また、同校の教室で教授される福音派の主流の教えは、学生がアポストロス・ミッションで学ぶ内容と何ら隔たったものとは思えないとし、「彼らが主流派の教えが何であるかを学びながら、(彼らの)独自の教えも学んでいる、というふうな様子は何も見えなかった」と語った。

本誌が今回の記事で取材した中のだれも、張を「再臨キリスト」と信じるよう勧める「歴史講義」がオリヴェット大学の教室でも教えられているとは主張しなかった。また、アポストロス・ミッションやイエス青年会がこうした信仰を近年もメンバーの間で勧めているとの主張もなかった。

次の展開:米国独立調査員会

張をめぐって浮上した憂慮は、グロリエタ・カンファレンス・センターも知るところとなった。今年の夏、オリヴェット大学はライフウェイ社との交渉が成立するまでの間、グロリエタの敷地内の未使用の部分を賃借していた。地元住民は、キリスト教大学がグロリエタを取得するかもしれないと知らされて、当初は歓迎した。しかし、オリヴェット大学への調査が進むと、憂慮が起きた。住宅所有者とライフウェイ社との最近の会合で、ひとりの住民が挙手してこう質問した。「それで、ダビデ張とはだれなんです? 彼は自分を再臨キリストと言っているのですか?」

ライフウェイ社の広報担当者マーチン・キングは、ライフウェイ社とオリヴェット大学の間の交渉の初期条件として、北米福音同盟が調査を実施し、両者の神学的一致の可否を判断することになるだろう、と語った。北米福音同盟は、調査委員と調査内容は極秘扱いであると述べた。この調査を、グロリエタ側もオリヴェット大学も共に歓迎すると述べている。「ライフウェイ社の調査を通じて、われわれの福音派の神学が証明されることを目指している」とワグナーは語る。「やっかいな問題にはならないであろうとわたしは考える」とも彼は述べた。

続報記事「再臨キリスト論争:公然と語る指導者たち」が2012年9月12日に発行された。

<以上翻訳転載>



米一般紙『テネシアン』が、米国福音同盟によるオリヴェット大学の調査結果について2012年10月17日に報道しました。

<以下翻訳転載>

神学上の問題でバプテスト派の研修施設が売却中止に

南部バプテスト同盟のニューメキシコ州の研修施設が財政難に陥り、カリフォルニア州のキリスト教大学に売却交渉を進めたことが論議を引き起こしていたが、神学上の問題のために頓挫した。

今年の初め、ナッシュビルに本社を置くライフウェイ・キリスト教出版社は、ニューメキシコ州のグロリエタ・カンファレンス・センターをオリヴェット大学に売却する計画を発表した。

この研修施設は過去25年間のうち24年赤字が続き、財政的に維持は困難と判断されていた。

売却交渉を成立させるには、オリヴェット大学はライフウェイ社を所有する南部バプテスト同盟に対し、両者間の神学的一致の存否を示さなければならなかった。オリヴェット大学を創設したダビデ張牧師は、東アジアの諸教会から過去に異端嫌疑をかけられていた。

両者は米国福音同盟に調査を依頼していたが、その報告書が届いた。ライフウェイ社は先週末に報告書を受理した、と広報担当者マーチン・キングは述べた。

キングは報告書の詳細を論じることは避けたが、売却交渉が中止となったことを次のように声明した。

「ライフウェイ・キリスト教出版社は米国福音同盟の調査報告書を閲読した結果、グロリエタ・カンファレス・センターのオリヴェット大学への売却を中止することを決定した。オリヴェット大学経営陣に感謝し、米国福音同盟の完全な仕事に恩義を感じるものである。今後は本不動産の売却につき実現可能な新たな選択肢を求めて行く」

オリヴェット大学学長でクリスチャンポスト会長のウイリアム・ワグナーは、張が間違った神学を教えていることを首尾一貫して否定している。ワグナーは、張の嫌疑は過去の複数回の異端調査で晴れていると指摘した。

火曜にワグナーは声明を出し、売却交渉の締結がまだ可能であるとの期待を続けた。

「オリヴェット大学経営陣は、ライフウェイ・キリスト教出版社がグロリエタ・カンファレンス・センターの売却を進めない計画であると認識している。オリヴェット大学はライフウェイ・キリスト教出版社の経営陣と今後も話し合いを続け、ニューメキシコ州のグロリエタ・カンファレンス・センターの購入の合意形成が可能であると期待しつつ、交渉を継続的に進めたいと願っている」とワグナーは述べた。ワグナーはバプテストの元宣教師で、2008年のバプテスト同盟議長選に出馬したことがある。

オリヴェット大学への売却に関する最大の憂慮は、いわゆる再臨キリスト論争と呼ばれるものである。

伝統的なキリスト教の教義では、将来イエスが天から戻って来て、千年王国を打ち立て、千年にわたる平和な統治を行うとされる。

張に対する批判者側は、張がいつか新しいイエスに変貌すると張の弟子たちが信じている、とする。しかし、張自身はそのような主張を否定している。

「ひとことで言えば、その団体では再臨キリストとは、単なる人間が他の人々の手でキリストに作り上げられることだ、と教えられています」とエドモンド・チュアは言う。チュアはオリヴェット大学卒業生でクリスチャンポスト・シンガポール版の前編集者であり、今年の初めに本紙に語った。

クリスチャンポストはオンライン新聞で、オリヴェット大学経営陣と結びつきを持っている。リチャード・ランドは南部バプテスト同盟の倫理と信教の自由委員会委員長であるが、クリスチャンポスト米国版の編集役員となっている。

張に関する同様の告発記事が福音派の雑誌『クリスチャニティトゥデイ』に掲載された。

クリスチャンポストは、これらの告発に対する反論記事を掲載した。

<以上翻訳転載>

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